カイラース山近くで捕えられ、井戸に投げ込まれる
1912年春、スンダルはふたたびチベットへ向かった。今回はカイラース巡礼のルートをたどったという。このルートはサトレジ川に沿ってスピティから西チベットへ入る道のことだろうか。サトレジ川の源はマナサロワル湖のある地域であり、川周辺には洞窟群が多いのだ。
湖や洞窟群、そしてもちろんカイラース山にはヒンドゥー教や仏教の修行者や巡礼者が多く、また散在する仏教寺院には僧もたくさんいた。
湖を越え、さらに歩いて小さな村に達した。人々は彼がクリスチャンであることを知ると敵意をむきだしにした。行くべき方向について聞くと、老婆は南西の高い峠のほうを指差した。とぼとぼとそちらに歩いていくと、道はなくなり、流れの速い川が行く手をさえぎっていた。
途方に暮れ、岩の上に坐っていると、川の向こうにたき火にあたっている男の姿が見えた。男は立ち上がり、速度を緩めることなく川に入った。激しい流れのなか、水深は膝の高さだったが、じきに腰、そして肩にまで達した。しかし1分とたたないうちに男はスンダルの目の前に立っていた。
「私の肩の上に坐りなさい。怖がることはない」
男はそう言ってスンダルの手を取った。
不思議と平静な気持ちになった。スンダルが男の肩の上に坐ると、躊躇することなく男は氷のように冷たい川に入っていった。男は向こう岸に着き、スンダルを下ろした。スンダルは目をつむって感謝をこめて祈りの言葉を述べた。目をあけると男の姿はなかった。まわりを見ても岩だらけで、姿を隠す場所はなかった。
その後行き着いた村々で人々はスンダルに敵意を向けた。ののしりと石が飛んできた。彼が来たことは近隣のすべての村に届いているようだった。
彼はラサルという村に着いた。いつもどおり彼は市場に立ち、福音を説きはじめた。すると意外なことに多くの人があつまってきて、その説教に耳を傾けた。しかししばらくすると突然雰囲気が変わり、人々が離れ始めた。なかには悪態をつきながら去る人もいた。
この地域の大ラマの下僕が群衆を追い払っているのだった。しばらくすると群衆をかきわけて警備兵らがやってくると、スンダルを逮捕した。大ラマは引き立てられたスンダルを見下ろして言った。
「チベットでは異国の宗教を説くのは禁止されておるのだ。現行犯だからな。何か言いたいことはあるか」
「いえ、ありません」
スンダルに死刑が言い渡された。カルタル・シンのようにヤクの皮に包まれて死ぬことになるのか、それともほかに処刑法があるのだろうかと彼は考えた。
ここにはスンダルの知らない処刑法があった。彼は廃棄された乾燥した井戸に投げ込まれた。覆いがかけられ、それに錠がかけられると、静まり返り、なかはまっ暗になった。腐敗臭がし、息を吸うと吐き気を催した。彼の先客が何人かいたのだ。散乱する白骨や腐った肉を払いのけながら、まだカルタルの処刑法のほうがよかったのではないかと思い始めていた。
時間がたち、井戸の側面に向かって祈っていると、上のほうで音がした。井戸の覆いがはずされ、月光が差し込んできた。それからロープがするすると降りてきたのだ。夢だろうか? 触るとそれはたしかに存在した。ロープの先が輪になっていたので、それに足を入れ、両手でつかんだ。すると体ごと上方へ引っ張りあげられていった。
地上にもどったスンダルは地面に転がった。井戸の覆いが戻され、錠がかけられる音がした。音の方向に目をやると、人の姿はなかった。彼はよろけながらその場を離れ、満月の光を浴びながら川岸の藪を発見し、そのなかに倒れこむと、そのまま熟睡した。目をあけると太陽は高く昇っていた。
体力と気力を取り戻した彼は、つぎに何をすべきだろうかと考えた。神は機会をお与えくださったのだ。そう考えたスンダルはラサルへと戻った。
スンダルはふたたびラサルの市場に立ち、福音を説き始めた。死んだはずのスンダルがいることに人々は驚き、いぶかしく思った。スンダルが生きていることを聞いた大ラマは裏切り者がいるに違いないと思い、井戸を調査させたが、錠はかかったままだった。鍵はラマの腰にあったので、だれかが開けたとは考えにくかった。大ラマは混乱したままスンダルに向かって言い放った。
「ラサルから出て行ってくれ。でなければその霊力によってわれわれに災いがふりかかるだろう」
スンダルはラサルを出て、村から村へと福音を説いて回ったが、秋が来て、冬の足音が聞こえてきたので、チベットを去り、インドへと戻るとまた活動をつづけた。
このラサルがどこなのか地図を調べてみたが、確認できなかった。昴仁(ンガムリン)県にルサルという村があるが、マナサロワル湖からはすこし遠い。おそらく本当の名前を出すのは差しさわりがあると考え、チベットにありそうな一般的な町の名にしたのだろう。この町はネパール、インドの国境に近いプラン(タクラコット)ではないかと私は推測しているが、はっきりとはわからない。ネパールとの国境に沿ったインド側の道を北上し、チベットに入った最初の町がプランである。ここから北上するとマナサロワル湖、カイラース山へと達する。このルートがインド人にとってもっともポピュラーなカイラース巡礼路なのである。
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