キリスト教の出家 

 キリスト教に出家という言葉はないが、スンダルが家を捨て、キリスト者として生きていく決心をしたのは、まさに出家というべきだろう。私はスンダルの伝記を読めば読むほど、キリスト教徒になったことが本当に彼にとってよかったのかわからなくなってしまう。シーク教徒として、家業を継いで平凡に幸せに生きていくことも可能だったのではないかと思うのだ。

 最愛の母が早くに死に、父は厳しかった。しかしたんに厳しいわけではなく、やさしさを持った父親だった。そのことを示す少年時代のエピソード「10ルピーの教え」を読んでほしい。スンダルは父親からも多くを学んだはずだ。

 キリスト教を選択したことにより、家族と敵対関係に陥ったスンダルは、あやうく家族から毒殺されそうになり、逃げて、一切の縁を断ち切ることになる。家族はいわゆる名誉殺人を謀ったのである。インドでは、家族の一員が恥と思われる行為を犯した場合、家族によって始末されることがあった。それが犯罪とみなされることはなかった。娘が下の階層の男と交際していることが発覚したときや、ひどい場合には娘がレイプされたときも、一家の恥とみなされることがあった。

 じつは第9章「スーパースターとしての聖者」で書かなかったけれど、キリスト教の修行者として名を馳せはじめた頃、シムラに届いていた大量の手紙のなかに父親からの手紙が入っていた。それには「いままでのことは不問に付すから、家にもどって結婚しなさい。財産はすべて譲る」と書いてあったのだ。家は資産家だったので、財産を受け取れば安楽な生活をすごすことができただろう。

 しかしスンダルはヒマラヤを越えてチベットに布教すると言う信じがたい刻苦の生活を選んだのである。スンダルに裕福な生活を送る選択肢はなかった。しかし「10ルピーの教え」が示すように、父親の気持ちも痛いほどわかっただろう。息子を喪失した父親ほどつらい者がこの世にいるだろうか。安易にキリスト聖者のスンダルをほめたたえることなどできないのである。



⇒ 第10章 

⇒ 10ルピーの教え