ババジと会う
「スワミジ・マハラジ、どうぞ座って」
プリヤ・ナートはまたもスワミジ・マハラジという言葉を聞いて困惑した。しかも今度はババジと呼ばれる奇妙な聖者の口から発せられたのだ。彼は聖者に礼をしながらその前に座した。
「私はサンニヤシではございません。どうしてスワミジ・マハラジなどとおっしゃるのでしょうか」
この不思議な聖者は高笑いしながら答えた。
「おまえはスワミジ・マハラジであるぞ。わしがそう言うのだ。スワミジ・マハラジに間違いない」
そしてまた大笑いした。プリヤ・ナートはこれ以上言いかえすことができなかった。
しかしこの聖者に面と向かいあうのはいい機会だった。彼はずっと気にしていたことを口にした。すなわち西側の国々には、潜在的にクンブメーラに集まる修行者とおなじくらい多くの霊性の持ち主がいるのではないかという考えだ。聖者はプリヤ・ナートの話すことを聞いてうなずいた。彼はさらにあらたな発見について述べた。
「聖書を読みますと、ヒンドゥー教の聖典とのすばらしい類似点があるように思われるのです」
今度もまた聖者は同意してうなずいた。それどころかつぎのような提案をしたのである。
「おまえはグルの希望に従って、バガヴァッド・ギーターについての文を書いてきたはずだ。どうしておまえは、いま言ったことについては書こうとしないのかね」
プリヤ・ナートには自分の考えについて書くという発想はなかった。
「マハラジ、なんというご提案でしょうか! 私にはそんな心構えもありませんし、仕事を成し遂げる力があるとも思えません」
聖者はまたも爆笑した。
「わしの口から出た言葉だよ。成し遂げられるさ。だれもわしの命令にはさからえないのだよ」
「もし私がその本を書き上げることができたら、マハラジ、あなたの教えを受けることはできますでしょうか」
「もちろんだ」
この聖者との出会いはプリヤ・ナートにとってきわめて印象深いものとなった。この聖者がだれであるかさえ知らなかったのだが。彼はともかくも、すくなくともひとりの聖者がイエスの教えとヒンドゥー教の教えに類似点があるという見方に賛成してくれたことがうれしかった。
しかしこの出会いの真の重要性を気づかせたのは、ヴァラナシにいる彼のグル、ラヒリ・マハサヤ(マハシャイ)だった。
ラヒリ・マハサヤはプリヤ・ナートの体験を聞いたあと、しばらくトランス状態にあり、それから通常の状態にもどり、静かな口調で言った。
「おまえはわしのグルについて何度も聞いたはずだ。彼を認識できなかったのかね? まあともかくわしのグル、ババジに会えるなんてなんという幸運だろうか」
プリヤ・ナートははじめて、このエピソードが真に意味することを理解することができた。たんなるありきたりのサドゥーが意見を述べたのではなく、尊敬するグルのグルがお与えになった神聖なるご命令だったのだ。
彼はコルカタ北郊のセラムポールの家に帰ると、さっそく資料収集など、本を書くための準備に入った。その年のうちに彼の著書は完成し、『聖なる科学』(カルヴァリヤ・ダルシャナム)と名付けられた。(カルヴァリヤ・ダルシャナムは、最後の真実の開示という意味)
ババジとはどういう存在なのだろうか。パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』がベストセラーになり、世界中で読まれるようになったとき、ヒマラヤに何世紀にもわたって住み続けるババジという大師の存在は、読者に強い謎めいた印象を与えただろう。死を克服したババジは悟りの境地に達し、いつまでも若々しい肉体を保つことができたという。
ババジは物質界の法則に束縛されないので、同時に複数の場所に現れることができるという。しかしババジは架空の人物というわけではない。ババジは肉体をもつ個人として存在する一方で、意識界にも存在するという。つまり彼は次元を超えた存在なのだ。(『ババジと18人のシッダ』はじめに 星名一美)
このようにババジは魅力的な存在である。ユクテシュワルは肉体として現れたババジに三度もあっている。だれでも会えるというわけではなく、クリヤー・ヨーガの修行を積んだ者のみが、ババジと会うことができるのである。
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