日本を訪れたヨガナンダ 

 アメリカに渡る前、ヨガナンダ(ムクンダ)がはじめて訪れた外国は、日本だった。いまの我々から当時の状況を想像するのはむつかしいが、日露戦争のあと世界の列強の仲間入りをした日本は、英国の植民地となっていたインドからすればアジアの希望の星だったのである。また、憧れであり、目標としていたラーマクリシュナの高弟、ヴィヴェーカナンダが横浜を「地上の楽園」とまで呼び、称賛していたことが、彼の日本行きを促すことになった。

 1916年、23歳のヨガナンダは汽船に乗り、上海経由で神戸に着いた。彼は町が清潔で、秩序が守られていることに感銘を受けた。しかし人々のふるまいにはいささか幻滅してしまったようである。スピリチュアルな雰囲気にあふれているインドと比べ、日本は信仰心がなく、あまりに即物的だと感じたのかもしれない。結局日本滞在は数日にとどめ、インド行きの船に乗った。せめて仏寺ぐらいは訪れてほしかったと思うが、廃仏毀釈が行われた時代であることを考えると、落胆を倍にしただけだったかもしれない。

 船上では彼は執筆に専念した。このときに書いたのが処女作『宗教の科学』で、のちに米国で出版された。またふたりの重要人物と会っている。ひとりはサティエンドラ・ナート・ミトラ博士。彼はクリヤー・ヨーガに心酔し、帰国後ユクテシュワルからイニシエーションを受けた。もうひとりはボンベイ(ムンバイ)出身のラシド大尉。父方、母方双方に西洋人の血が流れ、すでにヨーロッパ中を旅した経験を持っていた。彼はイスラム教徒の家庭に生まれていたが、非常に寛容な精神の持ち主で、クリヤー・ヨーガに興味を持ち、ヨガナンダ自身からイニシエーションを受けた。のちヨガナンダの在米中、困難に直面したとき、支えてくれたのはラシド大尉だった。

 



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