(2)言葉、それは神聖なる宇宙の波動 

 ヨガナンダの師ユクテシュワルは聖書のなかでも「ヨハネの福音書」と「ヨハネの黙示録」を好み、評価した。ヨガナンダはイエスの弟子のなかではヨハネが傑出していると考えた。現在では「ヨハネの福音書」と「ヨハネの黙示録」の作者は異なり、イエスの弟子のヨハネとも異なると考えられているが、ヨガナンダの時代はほとんどの人がひとりのヨハネとみなしていたのである。ヨガナンダはとくに「ヨハネの福音書」の冒頭部を、旧約聖書の創世記とならぶもうひとつの創世記ととらえた。

 はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。この言葉ははじめに神とともにあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、ひとつとしてこれによらないものはなかった。この言葉に命があった。そしてこの命は人の光であった。(「ヨハネ福音書」114

 言葉は神から生まれた知性ある波動、知性あるエネルギーを意味します。いかなる口から出た言葉も、たとえば「花」のように、知性ある存在によって表現され、音のエネルギーや波動、思考などで構成されます。思考は波動に知的な意味を与えるのです。このように、創造されたすべての物質の始まりであり根源である言葉は、宇宙の知性(キリスト意識)を帯びた宇宙の波動(聖霊)なのです。

 物質の思考、物質を構成するエネルギー、物質それ自体、すなわちすべての物事は、霊のさまざまな波動する思考にほかならないのです。

 ヒンドゥー教の聖典では父なる神はイシュワラ(宇宙の支配者)、あるいはサット(宇宙意識の純粋なる至高の神髄)、すなわち超越的な知性と呼ばれます。

 霊から現れる波動の力に付される幻影的な創造パワー、マヤは、聖霊なのです。すなわち宇宙波動、言葉、オーム、あるいはアーメン。(ヨガナンダ『イエスのヨーガ』)

 



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