聖遺物であふれるコンスタンティノープル
1988年におこなわれた放射性炭素年代測定は、長年つづいたトリノの聖骸布の真偽論争に終止符を打つはずのものだった。オックスフォード大学などの調査によって、聖骸布の布自体は13世紀から14世紀に織られたものであることがわかった。ところがその後、ほかの研究機関によって、いままでのデータと矛盾した紀元1世紀頃のものとする測定結果が導き出されたのである。2011年には、バチカンの調査委員会によって「本物といってほぼ間違いない」という宣言すら発表された。
しかしバチカンのお墨付きがあれば本物だ、というわけにもいかないだろう。なにしろ聖遺物は教会の権威を高め、より多くの信者を獲得するのに役立ってきたのだから。トリノ大聖堂のような聖遺物をもつ教会にはたくさんの信者や観光客が訪れるようになった。聖遺物はとくに11世紀から13世紀の十字軍の時代にコンスタンティノープルから持ち帰ったものが多かった。それもそのはずで、コンスタンティノープルには製作工場がたくさんあり、ひとつの産業をなしていたのである。
ジョージ・アルバート・ウェルズは『イエスの歴史的証拠』のなかでつぎのように言う。
西暦1200年頃、コンスタンティノープルには聖遺物を作る工場がたくさなり、いわば聖遺物生産が興隆していた。新約聖書学者のブリンズラーはその聖遺物を以下のように列挙している。
イエスの手。幼な子イエスのために賢者たちが持ってきた黄金。5千人を食べさせたパンくずがはいった12のかご。ダビデの玉座。エリコのトランペット。ノアが箱舟を作ったとき使った斧、などである。
聖骸布だけに注目すると、かぎりなく本物に思えてしまうが、これだけ偽物の聖遺物がならべられると、コンスタンティノープルで生産されたできのいい商品のように思えてくる。コンスタンティノープルであれば、付着した花粉が中東のものであっても不思議ではない。安い聖遺物であれば、西ヨーロッパから来た十字軍の騎士たちは手軽なおみやげとしてそれらを買ったかもしれない。精巧に作られた値段の高い聖遺物は、騎士たちの地元の教会のために役立ったことだろう。
ケルステンは、しかし、トリノの聖骸布は本物だと信じた。たとえ偽物の聖遺物が多いとしても、聖骸布は特別だと感じたのである。
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