イエスは磔刑を逃れることができたのか 

 『ユダヤ戦記』や『ユダヤ古代誌』で知られるフラウィウス・ヨセフス(37100?)は『自伝』のなかで興味深いエピソードを紹介している。

 私はティトゥス・カエサルの命令によって、ケレアリンスや千人の騎馬隊とともに、キャンプ地の確認のためテコアという村に派遣された。戻ってくるときに、私は多数の捕虜が磔にされるのを見た。そのうち3人は知人だった。私は彼らをひどくかわいそうに思い、ティトゥスに涙ながらに彼らの処刑を見送るように頼んだ。彼は即座に3人を十字架から降ろすよう命令を下した。二人は治療の甲斐なく死んだが、ひとりの命を救うことはできた。

 ヨセフスはもともとユダヤ戦争のときは、ガリレアで侵略してきたローマ帝国軍と戦う隊長だった。ローマに投降したあとは皇帝ウェスパシアヌスに重用され、皇帝の息子ティトゥスの幕僚長となってエルサレム侵攻に参加した。ユダヤ人の民衆からみれば、国家存亡の危機に際し、命乞いをして敵方についたのだから、裏切り者の烙印を押されても仕方なかった。処刑寸前の3人の同胞を救おうとしたことを書いたのは、裏切りだけではなかったことを記録として残したかったからだろう。しかし3人だけ救おうとしたということは、他の大勢(数百人か)は見殺しにしたということになる。なんとも寝覚めの悪い経験だろうかと思う。

 ヨセフスの行動の是非はともかく、ここで注目されるのは、磔刑された3人を助けようとして、ひとりの命は助かったということだ。つまりイエスを助けようと思えばできたのではないか、ということだ。

 もういちど聖書の記述を見てみよう。

 ユダヤ人たちは、安息日に死体を十字架の上に残しておくまいと、ピラトに願って、足を折ったうえで、死体を取下ろすことにした。そこで兵卒らがきて、イエスと一緒に十字架につけられた最初の者と、もうひとりの者との足を折った。いかし彼らがイエスのところに来たとき、イエスはもう死んでおられたのを見て、その足を折ることはしなかった。しかしひとりの兵卒が槍でそのわきを突き刺すと、すぐ血と水が流れ出た。

 これらのことが起こったのは、「その骨はくだかれないだろう」との聖書の言葉が成就するためである。また聖書のほかのところに「彼らは自分が刺し通した者を見るであろう」とある。(「ヨハネ福音書」1931) 

 ずいぶんとあっさりとイエスは死んでいる。もし死んでいなかったら、イエスは足を折られ、生き返ったとしても、歩くことができなかったろう。しかし死んだように見えてじつは死んでいなかったのではないか、と考える人は昔からいた。

ミルザ・グラーム・アフマドと同様(第7章「イエスの軟膏」)ケルステンも、イエスは十字架上で死んだのではなく、仮死状態にあっただけだと考えた。ヨセフスの記述が示すように、十字架にかけられたからといってすぐ死ぬわけではなく、医者の手当があれば回復も可能だったのだ。

 イエスの埋葬の場面は「裏読み」できなくもない。

 夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬と沈香(アロエ)とをまぜたものを、100斤ほどもってきた。彼らはイエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって香料をいれて亜麻布で巻いた。(「ヨハネ福音書」1939 

 ノコデモが持ってきた没薬とアロエは香料というよりケガのための薬だとケルステンは言う。仮死状態にあったイエスはかなりひどい傷を負っていたが、これらの薬によって治療されたと彼は主張しているのだ。




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