ナータ・ナマヴァリ 

 イエスも、またバプティスマのヨハネもエッセネ派に属していたので、川の中でヨハネはイエスに洗礼を施した。その儀式はインドの聖なる川でおこなわれるヨーギたちの沐浴とよく似ていた。ナータ派のヨーギたちがうたう『ヨーギの歌』にはイシャイ(イシャ)とヨハネに関する歌があった。

 友よ、イシャイはいかなる国へ行ったのか。ヨハネはいかなる国へ行ったのか。友よ、グル中のグルはどこにいるのか。汝の心はどこに憩うのか。友よ、イシャイはアラビアへ行ったのだ。ヨハネはエジプトへ行ったのだ。友よ、イシャイはグル中のグルである。ヨーギの心はヨーギのなかにのみ憩うのだ。

 ヴィンディヤチャル山脈(アラハバードの南西)のナータ・ヨーギたちの根本経典は『ナータ・ナマヴァリ』である。そのなかに収録された偉大なるグルのひとりがイシャイ(イシャ)・ナータだった。(以下は第14章「ナータ派が伝えるイシャ・ナータ」とおなじソースから採った話と思われる)

彼は14歳のときにインドにやってきて、16年のタプシャ(修行。熱の意味)ののち、サマディ(三昧)を理解するようになった。そして彼は母国に戻り、教えを説くが、ユダヤ人の謀略によってとらえられ、磔刑に処せられる。しかし磔刑のとき彼はサマディに入ったのだった。ユダヤ人たちは彼が死んだものと思い、墓に埋葬した。そのときじつは彼のグル、チェタン・ナータもヒマラヤで瞑想に入っていた。彼は幻影のなかでイシャイが拷問を受けていることを知った。それゆえ彼は空気より軽くなり、イスラエルに飛んで行った。彼がやってくると雷鳴がとどろいたので、神々は怒り、世界は震えた。チェタン・ナータはイシャイのからだを墓から取り出し、サマディから呼び覚ました。そしてアーリア人の国へといざなった。

 もちろんこのストーリーをそのまま信じる人はいないだろう。しかしイエスの実在を否定する人々(S・アチャリアら)にとっては、同程度の神話かもしれない。ともかくインドとイエスが、またインドの沐浴とイスラエルの洗礼が結びつくのは感動的でさえある。これを偶然の一致ですませられるだろうか。

 なおハスナインはイエスとヨセフをエッセネ派と決めつけているが、有力な説とはいえ、定説として認められるにはいたっていない。新約聖書にはファリサイ派やサドカイ派にたびたび触れられているのに、エッセネ派が出てこないのは、キリスト教そのものがエッセネ派から派生したか、エッセネ派そのものと考えたほうが自然だからだ。しかしエッセネ派が隠遁生活を送る宗教グループであればあえて聖書に記述される必要はないし、現代にまで残るマンダ教のような洗礼を主とする宗教グループは珍しくなかった可能性もあるのだ。

 




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