ペルシア語資料 

純粋庭園(Rauzat-us-safa

 ラウザト・ウス・サファーは1417年頃、ムハンマド・ビン・ハヴェンドシャー・マフムドによって書かれた預言者、王、カリフらの伝記集。注目されるのは、このなかにイエスの旅が含まれていることだ。イエスはイラクとシリアの中間に位置するニシビス(現トルコ領ヌサイビン)まで旅をしている。(第7章「イエスの旅」参照)

 

タフリク・イ・カシミール 

 『タフリク・イ・カシミール(Tahrik-i-Kashmir)』はムッラー・ナドゥリによって1420年頃編纂されたイスラム教徒最初のカシミールの歴史書である。そのなかでイエスはカシミールに着いて、自身が神の子であり、マシアー(メシア)であると宣言したと書かれている。

 聖なる地から聖なる谷にやってきたユズ・アサフは預言者であることを宣言する。彼は昼も夜も祈りを唱え、精神的により高みに達し、カシミール人のための預言者であると宣したのである。

 私(著者)はヒンドゥー教の書のなかにユズ・アサフという名を名乗るカシミールの神の霊、ハズラト・イッサが本当に預言者であると書かれているのを見たことがある。彼はこの谷で人生をすごし、没後はスリナガルのアンズィマルで永遠の憩いについたのである。またこの墓から、偉大な預言者ならではのオーラが放たれているとも言われている。

 スリナガルの故サヒブザダ・バシャラト・サリムはハズラト・ユズ・アサフの末裔を称していた。彼はつぎのように述べた。

 ムッラー・ナドゥリのペルシア語で書かれた『タフリク・イ・カシミール』は、われわれ家族、すなわち聖ユズ・アサフ家の厖大でかつ正確な真正の歴史文書である。実際この歴史文書はわれら一族の宝であり、亡き父サヒブザダ・グラーム・モヒユッディンの所有物であった。

 

イクマル・ウッディン(Ikmal-ud-Din

 イクマル・ウッディン(あるいはカマル・ウッディン)は偉大なる歴史家で著述家のホラーサーンのアル・シャイフ・ウス・サディク(?〜962)によってペルシア語で書かれた著作である。彼はこのなかでユズ・アサフの旅について書いている。

 最初の旅の目的地はスリランカ。2番目の旅の目的地はカシミールだった。彼の言葉と教えは福音書のものと似ていた。

 ユズ・アサフは多くの町を歩き回ったあと、カシミールと呼ばれる土地に着いた。彼はその地域のはるか遠くまで足を伸ばし、死が迎えに来るまで残りの人生をそこで過ごした。彼は死に際し、肉体の抜け殻を置き、光へ向かって上昇した。

 死の直前、彼はよく仕えてくれた何でもできる弟子のババドにすべてを託した。彼は最後の遺志を弟子に伝えた。「わたしが現世を去る時が来ようとしている。おまえは職務をはたさなければならない」と言って死んだまさにその場所に墓を建てるよう命じた。彼は足を西へ向けて伸ばし、頭を東へ向け、身まかった。 

 


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