アフワル・イ・アハリヤン・イ・パラスAhwal-i-Ahaliyan-i-Paras 

 ペルシア人アガ・ムスタファが書いたユス・アサフの寓話集。1909年にテヘランで出版された。ユス・アサフは西方からペルシアにやってきて布教し、多くの信者を獲得したという。

 

タリフ・イ・アザミ 

 フワジャ・ムハンマド・アザム・デドマリ(?−1765)が著したカシミールの百科全書的な歴史書。最初にラホールで1814年に出版された。

 サイド・ナシル・ウッディン墓地の横にひとつの墓があった。カシミールの地元の人々のあいだでは、古代にやってきた預言者が眠っていることはよく知られていた。はるかに遠いところから苦難のすえ彼がやってきたことは歴史書から学んでいた。

 試練と忍耐をへて、祈りと愛情をささげ、王子はカシミールの人々にとっての神のメシアとなったという。多くの人を改宗させ、いまではアンズマラに眠っている。その預言者の名はユス・アサフといった。アンズマラはカニャルにあった。多くの慈悲深い人々、とくに精神的導師である作家のムッラー・イナヤトゥッラーは言う、その墓を訪ねれば、聖なる預言者の恩寵を目撃することができると。

 

アイン・ウル・ハヤト 

 イブン・イ・ムハンマド・ハディ・ムハンマド・イスマイルによって編纂されたアイン・ウル・ハヤトの1章はユス・アサフに割かれている。そこには彼の旅と教えについて述べられている。

 彼は多くの町へ行き、町の住人に教えを説いた。最後に彼はカシミールの町に着いた。彼は人々を正義に導き、死がやってくるまでその町にとどまった。彼の聖なる魂が地上の肉体を去ると、神のもとへ行って休息をとった。死の直前彼は弟子のババドを呼び、墓を建てるよう頼んだ。彼は頭を東に向け、足を西へ伸ばし、永遠の場所へと旅立った。

 内容が酷似していることから、上述の「イクマル・ウッディン」から引用していることが確認できる。どのように伝説が「歴史化」してきたか、その経緯がよくわかる。この墓はユス・アサフの墓であり、イエスの墓にちがいないと人々は信じるようになった。

 

ワジーズ・ウッタワリフ 

 フワジャ・ナッバ・シャー(またはグラーム・ナビ・ハニャリ)は『ワジーズ・ウッタワリフ』(1896)というカシミール史について書いた本のなかで、ユス・アサフの墓を描写している。

 モハッラ・ハニャルのサイド・ナシル・ウッディンの墓はラザバル(ローザバル)という名で知られる。これは預言者ユス・アサフの墓である。彼はこの地へやってきた王子だった。祈りを通して、あるいは慈悲の心ゆえ彼は神の使徒としてカシミールの人々のもとへ送られた。そして人々に教えを説いた。当時の国王はラジャ・ゴパダッタだった。墓の西壁には穴があいていた。そこから麝香の香りが漂ってきた。幼児をつれた女がそこを訪れた。幼児が小便をしたところ、それが穴にしみこんだ。女はそれを見て発狂してしまった! 




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