タワリフ・イ・カシミール
カシミールの歴史家ピール・グラーム・ハッサン・フイハミ(1833−1898)の編纂した全4巻の『タワリフ・イ・カシミール』もユズ・アサフの墓に触れている。
ここには古代においてカシミールの人々のために尽力をつくした預言者が眠っている。
またフワジャ・ムハンマド・アザムの言葉を引用している。(上述)
ハスマト・イ・カシミール
アブドゥル・カデォルがペルシア語で書いた『ハスマト・イ・カシミール』(1748)もまた預言者の墓について記している。
墓は地元の人々によって「パイガム・バル・イ・アフル・イ・キタブ(啓典の民の預言者)」と呼ばれている。
啓典の民とは、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒という旧約聖書を聖典とする人々のことである。ここでは暗にイエスのことを指している。
ワキアト・イ・カシミール
バド・ウッディン・カシム(1741−1781)がペルシア語で書いた『ワキアト・イ・カシミール』には、このユズ・アサフの墓が言及されている。
知識ある人々によれば、ここにはイエスの弟子のひとりが埋葬されているという。そこからはめぐみと慈愛が放たれていた。
ここでは「イエスの弟子」となっているのが興味深い。もともとイエスではなく、かなり古い時代に宣教師が埋葬されたのではないだろうか。
⇒ カシミールとチベット
⇒ つぎ(サラーフッディーンの『救世主を救う』)
⇒ 目次