エイレナイオスの証言
S・アチャリアのような、イエス・キリストは神話による創造物にすぎず実在しない、とまで言い切る論者がいる。私からすれば(あるいはほとんどの人にとって)少なくともモデルとなるカリスマ的な人物がいて、それに神話的色彩が加わって現在のイエス像が完成されたという説が納得いくのだが、実在の人物と隔たりすぎてしまったなら、それを実在と呼べるかどうか、微妙になってしまう。
スミュルナ生まれのおそらくギリシア人のエイレナイオス(130?−202)は、ローマに滞在して司教ポリュカルポスから学び、のちリヨンの司教となった。そしてグノーシス派と闘いながら、『異端反駁』を書き上げた。新約聖書のなかでもっともあとに書かれたとされる「ヨハネの黙示録」成立から数十年しかたっていないので、イエスの神話化がまだ完成していない時期に書かれたともいえるだろう。
サラーフッディーンが注目したのは、イエスが何歳であったかを論じている箇所だ。イエスはトラヤヌス帝(53−117 在位98−117)の時代まで生きていたとしている。もし帝位についた98年まで生きたとするなら、およそ百歳まで長生きしたことになる。しかし『異端反駁』をよく読むと、小アジアで長老たちと話をしたのは十二使徒のひとりヨハネである。ヨハネがトラヤヌスの御世まで彼らの中にとどまったというのだ。
そのあとに年齢にこだわった一節がある。
「あなたは50歳になっていないというのに、アブラハムを見たとおっしゃるのか」と彼ら(ユダヤ人長老)は言った。このような言葉は、40歳には達しているが、50歳に達している人にはふさわしくないだろう。しかし50歳に近いのではないか。(『異端反駁』22章)
ここからわかることは、2世紀の時点では、イエスがいつ磔刑に処せられたか確定されていなかったことだ。「ルカ福音書」3章23節には「イエスが宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳のとき」と書かれているが、この正典と外典の区分けがされていない時代、開始年齢には諸説があったのかもしれない。この会話が示す通り、イエスの年齢が50に近い40歳代後半だとすると、磔刑は西暦40年代ということになってしまう。
サラーフッディーンはマーク・メイソン(『愛する神を探して』1997)を引用し、イエスは磔に処されても生き延びることができたとする主張を紹介する。
ニカイア信条の後期のバージョンによれば、イエスは三日間地獄に降りている。その苦しみは墓の中に横たわり、ひどいケガから癒える様子を物語っているのだ。いずれにせよ聖書によればイエスはもとの肉体のなかに蘇っている。「彼は黄泉の国に捨て置かれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない」(「使徒行伝」2章31節)のである。
またエイレナイオスは「彼らが見たイエスは幻ではなく、血と肉をもった実在の人である」と強調している。ここまで言わなければならなかったのは、仮現説(イエスは肉体を持たなかったとする説)の勢いが強かったからだろう。イスラム教徒であるサラーフッディーンの立場からも、イエスに実体性があるほうがよかった。肉体があるからこそ瀕死の状態から回復し、インドまで長い旅をすることができたのだから。
⇒ つぎ