(3)シャングリラを建設したのはイエスだった 

 主人公ジャコモの秘密が明かされる。彼はイタリアのCIAにあたる諜報機関グラディウスに所属していたのである。彼が諜報部員になったのには必然性があった。第二次大戦中、叔父のクラウディオは第十小艦隊の隊長を務めていたのだが、そのことがきっかけとなって(まわりまわって)ジャコモは国際的な諜報活動に巻き込まれていく。しかしその結びつきに本人は気づいていなかった。

 チベットに入ったジャコモと妻のリヴィアは突然何者かに誘拐された。連れて行かれたカルカル山という雪山の麓にある美しい谷間は、シャングリラだった。そう、あのシャングリラ。ジェームス・ヒルトンは狂人だと思われないように、小説として『失われた地平線』を執筆したのだった。

 ミス・ブリンクロウというチベットの伝統服を着た不思議な女性がいた。彼女はイッサの物語が書かれた古文書を読み始めた。それはイッサ文書だった。

 過ぎ越し祭の場面から物語ははじまる。わが子イッサを見失った母マリアと父ヨセフは三日間探し回り、エルサレムの神殿で博士たちに囲まれ、彼らの話すことを聞いたり、質問を浴びせたりしているイッサを発見する。神殿のなかの博士のなかでもっともすぐれたのはファリサイ人のゼフェニアだった。彼はどんな質問にもよどみなく答えるイッサに衝撃を受ける。この子は天使かもしれない、と思った。ゼフェニアは父ヨセフにイッサを育てたいと申し出た。ヨセフは丁重に断ろうとしたが、イッサ自身がゼフェニアから学びたいと父親に頼み込んだ。

 イッサとゼフェニアはしばしばある禁欲・隠棲的な宗教集団に加わった。彼らはソロモン王のポンティフェクス・マクシマム(最高司祭)の名前にあやかってザドクの息子と互いに呼び合った。しかし外の人間は彼らをエッセネ派、テラペウタイ派、ナザレ人などと呼んだ。イッサは彼らのなかでもとくに、隠者と会うのが好きだった。

 一方隠者のなかには好んでエルサレムにやってきて、イッサと会いたがる者がいた。オゴダイはそのひとりだった。彼の国には高い山々があり、その峰はつねに雪をいただいているという。そして国には聖なる光があり、夜をも照らすのだった。

「その光とは何ですかな」とゼフェニアは聞いた。

「光とは、光明を得たお方、ゴータマ・ブッダ、シッダールタそのひとです。ブッダは天の王国はここ、われわれのあいだにあると説かれました」

 オゴダイの話に惹かれたイッサは、オゴダイとともにキャラバンに加わり、ダマスカスからパルミラ、バビロンをへてシンドへと向かった。そして苦難の旅のすえ、ベナレスに到着した。

 庶民のなかに溶け込んだイッサはたからかに宣言した。

「バラモンとヴァイシャ(階級)はシュードラになるだろう。シュードラの内において聖霊は永遠に生きるだろう」

 これは神のもとにおいては、高貴な生まれの者も下賤な生まれの者も平等であることを示していた。バラモンたちは当然憤り、イッサを亡き者にしようとした。イッサは危険を感じたのでその地を去り、一か月かけてオゴダイの故郷であるネパールのテライまで逃げた。そして32年前、オゴダイが長い旅をはじめたゲズィ僧院に着いた。

 僧院に残ることに決めたオゴダイを置いて、イッサは数人の僧侶とともにさらに東へ進むことにした。ヤクに荷物をのせたキャラバンはチベットの奥深くへと入っていった。そしてついに雪峰の向こう側の美しい谷間に着いた。

 そこはオルモ・ルンリンという場所だった。それはのち、シャンシュンという国の都となった。イッサの死後、谷間の横にそびえる高峰はカルカル山と命名された。また彼が建てた家はユンドゥン・グツェン、すなわち九つのスワスティカの家と呼ばれた。扉の上には九つのこれら古代シンボルが描かれた。仏教徒にとって、それは法輪を意味したのだ。チベット人たちはまたイッサのことをトンパ・シェンラブと呼ぶようになった。また彼らはイッサの天の王国の説教を聞き、改宗し、彼は天からやってきたのだと信じるようになった。

 イッサは聖書やチベット人がミワと呼ぶモーセ、そしてアブラハムのエピソードを好んで話した。またチベット人らは、イッサがイスラエルという天国から来たと考えたが、イスラエルのことをイェサンと呼んだ。彼らは来たるべき幸福の社会、水も食料も豊富にあり、病気も死もない世界のことをシャンバラと呼んだ。あるいは彼らの言葉でシャングリラとも呼んだ。

 




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