(4)イエスはボン教開祖になった
前節の抄訳した部分は、チベットのオリジナルの宗教ボン教がはじめて小説に応用されたものとして記憶されるべきだろう。ボン教という言葉が出てこないどころか、仏教に置き換えられてはいるものの、元になっているのはボン教の創世神話である。
シャンシュン(Zhang-zhungとすべきところをZhang-Zhunに変えているが)は西チベットを中心とした実在した国で、その国民はボン教を崇拝していたと多くのチベット人は考えている。
オルモ・ルンリンはタジク(ペルシア?)にあったとされるシャングリラのような理想郷で、ボン教祖師のトンパ・シェンラブはここに生まれたとされる。トンパ・シェンラブは過去生において天国であるシパ・イェサンで学んだとされるので、天国(イスラエル)をイェサンと呼んだというのは、間違っていない。
モーセをミワというとしているが、トンパ・シェンラブ・ミウォのミウォ、あるいは王侯を意味するミワンからヒントを得た造語である。
また九つのスワスティカを意味するユンドゥン・グツェンは、正しくはユンドゥン・グツェグである。このようにボン教の用語がちりばめられているのだ。
イエスがインド、チベットにやってきたという伝説とトンパ・シェンラブがタジクからチベット(シャンシュン)に来たという伝説を合体させたことを私は評価したい。トンパ・シェンラブがシャンシュンに来たのは何万年も前のことだとされることもあるが、もし実在したのであれば、二千年前であってもおかしくないだろう。
トンパ・シェンラブという名前(称号)が義教師と訳されうるとすれば(これは作者ではなく私の考え)それは死海文書の義教師であり、一説によればイエスである。
本文のほうに戻ると、ボン教神話ではおなじみのトンパ・シェンラブのライバルである悪魔キャブパ・ラグリンが登場する。トンパ・シェンラブことイッサは人々を救済するため、西方へ戻ろうとするが、善なる行為を嫌うキャブパ・ラグリンはそれを阻止しようとする。イッサはなんとかイスラエルにもどるのだが、宣教活動のあと3年後に、磔刑に処せられるのだった。
⇒ つぎ