(2)時空を超えるサスペンス 

 歴史上の時間と空間をつぎつぎと飛び越えていくのがこの小説の特長だ。たとえば、第21章の移動はつぎのようになっている。

 

 BC3127年、北インド、マトゥラ― → BC566年、インド・ネパール国境、カピラヴァストゥ → AD26年、ユダヤの砂漠 → BC1000年、ペルシア → BC2000年、シリア → BC3000年、エジプト → AD27年、ユダヤのベサニー → BC600年、ペルシア → AD23年、ユダヤ → AD26年、ユダヤのヨルダン川 → 2001年、北インドのアラハバード → AD27年、ユダヤのベサニー → AD23年、ガリラヤのカナ → AD27年、イスラエルのベサニー → AD337年、コンスタンティノープル → AD557年、トルコのコンスタンティノープル AD185年、フランスのリヨン → 1988年イタリアのトリノ → 同1988年のスペインのオビエド 

 

 BC3127年は、処女デーヴァキからクリシュナが生まれた年である。『シュリマド・バガヴァタム』に示された計算法をもとにはじきだされた。バラモンがデーヴァキの子は国王を殺すと予言したため、国王カンサはすべての嬰児を殺そうとした。

そしてBC566年は、処女マヤからブッダが生まれた年。ブッダは35歳のとき、49日間悪魔の誘惑にも負けずに修行し、悟りを開いた。その6世紀後のAD26年、イエスは荒野で40日間、悪魔の誘惑に負けず、断食修行をやりとげる……。

 彼は処女から生まれた。30歳のとき神からのお召しがあった。世界は彼の誕生に歓喜した。彼は川で洗礼を受けた。彼はその知恵で賢者たちを驚かせた。弟子たちといっしょに各地を歩いた。荒野をさまよい悪魔の誘惑に耐えた。彼は悪魔を退散させた。盲目の人の視力を取り戻した。天国や地獄、審判、救済の謎を明かした。弟子たちと聖なる食事をともにした。これはツァラトストラ(ゾロアスター)のことであり、BC1000年頃のことだった。

 BC2000年頃、タンムズは死に、地下世界へ下降した。愛する妻イナンナは彼の死を受け入れることができず、探しに行った。そのあいだ地上は凍ってしまった。人類の嘆願を神は聞き入れ、タンムズがイナンナとともに地下世界を離れることを了承した。それ以来生命は秋に死に、春に蘇るようになった。ちなみにタンムズが処女ミルラから生まれたのは12月25日だった。

 BC3000年頃、ホルスが処女イシスから飼い葉桶の中に生まれたのも12月25日だった。彼の誕生は東方の星によって宣言された。ホルスは12歳のとき神殿のなかで教え、またのちに頭部を切断されるアヌプからエリダヌス川で洗礼を受けた。ホルスは水上を歩くなどの奇跡を見せた。彼は12人の弟子を持ち、盗賊たちといっしょに木の上に磔(はりつけ)にされた。死後彼は墓場から蘇り、天国に昇った。彼は死者を蘇らせた。その男の名はエル・アザル・オスといった。聖書でイエスが蘇らせるのはラザルス(ラザロ)である。

 BC27年、マリアや姉のマルタの出身地ベサニーに住むラザロは、四日前から墳墓の中に安置されていた。イエスは石棺の石蓋を取り除かせた。これは何かの儀礼だろうか。イエスが復活するのも、復活祭と関係があるのだろうか。復活祭はBC600年頃から祝われるようになっていた。

 太陽神ミトラスが生まれたのも12月25日だった。彼は巡回する教師であり、12人の弟子を持っていた。彼はよき羊飼いと呼ばれた。彼と弟子は晩餐でパンとぶどうをともにした。彼が死ぬと墓に埋められたが、数日後に蘇った。その日は復活祭の日曜として祝われた。

 ナザレのイエスとナザレ人(びと)イエスは違うのか。ナザル(nazar)はアラム語で分離を意味するナズィル(nazir)から派生している。ナズィル人とは、ある期間、酒をたち、髪を切ったり死体に触れたりすることを避ける戒律を持ったユダヤ人のことである。その宗教団体の弟子であったイエスは、AD23年頃、塗油される者、クレストスと呼ばれていた。

 AD26年頃、バプティスマのヨハネが現れ、砂漠のなかで教えを説き始めた。多くの人が彼のもとにやってきて、ヨルダン川で洗礼を受けた。しかし彼は「私のあとにやってくる者はもっとすばらしい」と説いた。この洗礼とおなじようなことは、2001年にもおこなわれていた。

 この年、3千万人の人がアラハバードのクンブメーラ祭にやってきた。人々はガンジスの水で罪を洗い流した。この水に浸る儀礼の起源は、聖なる結婚ヒエロス・ガモスと同様インドにあった。

 マーガレット・スターバードの『石膏の壺を持った女』(邦題は『マグダラのマリアと聖杯』)によれば、マグダラのマリアがイエスの頭部に塗油するシーンは聖なる豊饒儀礼の一部だという。もしそうなら、イエスの磔刑や復活もまた、豊饒儀礼の一部なのだろうか。そしてイエスは花婿なのだろうか。

 AD23年、ガリラヤのカナで結婚式がおこなわれていた。このときにイエスは水をぶどう酒に変える奇跡を見せている。祝宴の主人はマリアだった。花婿はイエスだった。

 AD27年、イスラエルのベサニー。弟子のなかでもとりわけ彼女を愛し、口づけすることもしばしばだった。マグダラのマリアはイエスを二度、塗油している。一度は頭に、もう一度は足に。ソロモンの歌によれば、それは結婚式を意味していた。

 AD337年、死の床にあったローマ皇帝コンスタンティヌスは、キリスト教の洗礼を受けることにした。312年にライバルのマクセンティウスを破ることができたのは、キリスト教徒のサポートがあったからだったのだ。それに加えてキリスト教徒を皇帝は太陽崇拝者ととらえ、評価していたのである。いまやイエスはミトラスやホルス、タンムズやクリシュナより偉大でなくてはならなかった。処女から生まれ、奇蹟を行わなければならなかった。こうしてイエスの神格化がはじまった。

 AD553年、皇帝ユスティニアヌスが開催した第二コンスタンティノポリス公会議で教父たちは「何人たりとも、生まれる前の魂の存在や復活を主張すれば、無神論者とみなされる」と叫んだ。つまりそれまでは、生まれる前から魂が存在するという見方が一般的だった。初期のクリスチャンは輪廻転生を信じていた。

 AD185年、ガリア地方ルグドゥヌムの司教エイレナイオスは、『異端反駁』を著した。彼はグノーシス主義を激しく非難し、キリスト教の柱は四つの福音書であると主張した。これでイエスは、セラピス(バビロン)、オシリス、ホルス、ヘルメス、メルクリウス、イムホテップ、クリシュナ、ブッダ、ミトラス、ペルセウス、テセウス、ヘラクレス、バッカス、ヒュアキントス、ニムロド、マルドゥク、タンムズ、アドニス、バール、ケツァルコアトル、バルドゥル、天神、アッティス、ヘスス、クリテ、オリサオコ、マハーヴィラ、ツァラトゥストラなど神、預言者、使徒、天使と肩を並べた。これらのなかには死から蘇る者もいた。そしてトリノの聖骸布に包まれ、生き延びた者がいた。

 1988年11月、トリノの枢機卿アナタシオ・アルベルト・バレステロは恥をかいた。というのも世界に向かってトリノの聖骸布が偽物であると公言しなければならなかったからだ。はじめて科学のメスが入り、科学者たちは布片を放射性炭素測定法によって調べた結果、本物ではないと認定された。しかしのちに調べた科学者たちはその測定法に誤りがあると指摘した。聖骸布に付着していた血液がAB型であることが鍵となりそうだった。

 オビエドのカテドラルに保管されたスダリウム(聖なる布)もまたAB型であることがわかった。この布は伝承によれば、磔刑後のイエスの頭を覆っていた。これが本物であるなら、トリノの聖骸布も本物である可能性が高まるだろう。



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