エッセネ派のイニシエーション
5歳の誕生日から3週間目の6月中旬、イェシュアは父親に連れられてエッセネ派の建物に歩いて行った。イエスの誕生日は5月末と作者は考えているようだ。夜明け前なのに、庭にはいくつもの統率がとれた12人のグループが縦横に動いていた。彼らの歌はアラム語、ヘブライ語、ギリシア語、ラテン語、エジプト語で歌われていた。
おお主よ、慈愛深い神よ。真実の知識と知恵を授けたまう主よ。昼も夜も奇蹟をお見せくださるすべての愛よ。
「子よ、そなたは祈祷をなさらないのか」
その声は第1年の教師であるハバッククだった。
「お祈りをあげたいけど、怖いのです」
「子よ、恐れることはない。わたしがいつもそばにいるのだから」
ハバッククのあとをついて扉をあけてなかに入った。すると「この聖なる場所に入ってきたのはどなたかな」という声が聞こえてきた。
「光と真実と知恵を求める者です」とイェシュアの父が答えた。
「準備はできているかな」
「できていますとも。この子は聖なる家族の生まれです。身体も心も清潔で、健康です」
イェシュアはロウソクを持って大きなホールのなかに入った。巨大な屋根を無数の石柱が支えていた。なかはがらんとして、暗く、静かだった。屋根のあいまから光が漏れてきた。光に目がくらんだが、声を頼りに父のあとを追った。部屋の中央に下に降りる階段があった。底に着くと床は平らだった。そのあとゆるやかにのぼり、曲がってからまた暗闇の中に上りの階段があった。その先は洞窟の中だった。暗闇のほうから声が響いてきた。
「同胞団の前にやってきたのは誰だい?」
「試験に受からなければ名前のない参入者です」
「一生の誓いを立てる準備はできているかい。そしてその一生を懸ける心構えも」
「息子よ、おまえは一生の誓いを立てる準備ができているか。その一生を懸ける心構えはできているか」
「はい、お父さん」
「この子は準備ができています、完全なる光の教師さま」
「それはすばらしい! 同胞団の意志は決まった。誓いも立てられた」
こうして誓いの問答がはじまる。それは参入の試験でもあった。
「わたくし、貧しく身分低く、名も無き参入者は、選ばれし者の同胞団、光の兄弟の仲間入りをめざす者であります。完全なる教師の前に卑しき者であるわたくしは身を屈し、一生の間誓いを守り、すべての規則を順守する者であります。
「畢竟(ひっきょう)、わたくしは天国にいます全能の父に敬意を払い、仕えます。
「わたくしが参りますいかなる土地の規則にも従います。天国にいます父のもと、全能の父の助けなしには人に対し規則を課すことはいたしません。
「光の同胞団の中の上位の方々にはいつも従います。もし権威ある地位に自らがついたとしても、権威を濫用し、弱き者たちを虐げることはいたしません。選ぶ者でも、選ばれる者であろうとも、そのふるまいや挙措は他者の模範となるようにします。
「同胞と接するように正しく仲間とも接しなくてはなりません。
「わたくしは、まことの純粋なる心をもって生き、公明正大を実践し、すべての人にたいし正直でなくてはなりません。わたくしは、衝動で、あるいは他者への仕返しで、あるいは意図をもって人を傷つけることはいたしません。人生を通じて、ひそかに、あるいは公に、不正をなじり、慈悲を見せ、真実の正しさを広めなければなりません。
「わたくしはよこしまな考えから、衝動から身を守り、手や魂が物欲にそまないように用心いたします。
「わたくしは辛抱強く身体において強く、健康で、精神において確乎として、創意に富むことをめざし、敏捷で記憶力よく、死ぬまで無敵の神、あるいは完全なる光の父にたいする崇敬の念を忘れることはありません。
「わたくしは同胞団の4つの段階の試験に受かるよう努力します。そして毎日の活動の中で長老や兄弟に従い、貢献いたします。
「わたくしは兄弟とも、あるいはだれとでも、論争したり、言い負かそうとしたりはしません。もしそうすれば憐みと愛でもって片方の頬を差し出すでしょう。
「わたくしは力や名誉を欲することはありません。富や財産も同様です。なぜならすべての物や才能、力量は天国の父からの授かりものだからです。
「それゆえわたくしは人の子ではなく、無敵の、あるいは永遠の天国にいます父の子であるでしょう。そして地上における父の代理として光の同胞団の父を受け入れるでしょう」
ここまでイェシュアは唱和してきたのだが、つぎの一節を聞いたとき、躊躇し、唱和することはできなかった。
「わたくしは父母の家を出て、拒絶し、結婚せず、性的関係を持たず、子供ももうけません」
総司教は三度繰り返したが、イェシュアは黙ったままだった。
「続けたくないのかね」
「いえ、続けたいのですが、父や美しい母のために誓いを立てることができません。子供をもうけないという誓いも立てることができません。父母も子供も愛しているからです」
以上はイェシュアがエッセネ派に加入したときの参入儀礼(イニシエーション)の様子である。こうした儀礼が古代から本当にあったかどうか、意見が分かれるところだろう。しかし秘密の儀礼はおおやけにされることがないのだから、フリーメイソンの加入儀礼も含めて思いのほか古くから存在したと考えるべきだろう。
イェシュアは、つまりイエスはエッセネ派に所属していたのだろうか。ヨセフスの記録などからも、エッセネ派が当時大きな存在であったことはまちがいないが、新約聖書にファリサイ派やサドカイ派は頻繁に登場するのに、その記述が不自然なほどない。逆にいえば、イエスはエッセネ派の出自なので、説明するまでもないということなのだ。
もしエッセネ派に入っていたなら、このような参入儀礼がおこなわれたことだろう。そのとき唱和されるエッセネ派の規約は、聖書の中でイエスが述べていることがらと非常によく似ていたにちがいない。イエスは独創的というよりも、エッセネ派の教義に忠実だったのである。
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