ドキュメンタリー・フィルム
イエスの失われた歳月
フィルム制作 リチャード・ボック
イッサの足跡を訪ねる
イエスのインド修行伝説は、いまだかつてフィクションとして映画化されたことはないが、リチャード・ボックと妻ジャネット・ボックによって、90分のドキュメンタリー・フィルムが制作されたことはあった。*『宝瓶宮福音書』(第5章)の映画化は進んでいるらしい。 発売されたのは30数年も前の1976年である。私は2007年にDVD化され、発売された新装版(国内販売はなし)を見た。デジタルリマスター版を期待していたのだけれど、高画質どころかいまどきめずらしい「揺れる画面」だった。低予算のため、16ミリで撮らざるをえなかったのかもしれない。
画面は古びているものの、その内容はいま見ても十分刺激的だった。ボック夫妻がこのフィルムで焦点をあてているのは、あくまでイエスがどこで何をしていたかわからない13歳から30歳までの17年間のことである。彼らはノトヴィッチのイッサ文書をもとにして、イエスがインドで修行したという伝説を検証している。イッサ(イエス)の足跡を地図上にたどりながら、二重写しでインドの風景が浮かび上がる。ガンジス川沿いのヴァラナシやリシケシュ、プーリーのジャガンナート寺院といったヒンドゥー教の聖地はイッサも訪ねていた。イッサがインドへ行った頃、ヒンドゥー教も仏教も栄えていた。
ボック夫妻は当然、ラダックのヘミス僧院を訪ねる。ノトヴィッチが「イッサ文書」を僧侶から見せてもらったのはここだったのだ。しかし残念ながら、夫妻が僧院に直接文書の有無を尋ねることはなかった。そのかわりデリーのチベット寺院にいるチベット仏教僧が「数年前ヘミスへ行ったとき、そのパーリ語からチベット語に翻訳された経典を見た」と述べている。これはきわめて重要な証言だ。イッサ文書が偽書かどうかはともかく、それは存在していたのだ。
すでに述べたように、ラーマクリシュナの弟子であるアベーダナンダも1920年代にヘミスを訪れた際、この経典を見ていた。アベーダナンダの証言の信憑性はかなり高いとみていいだろう。しかしアベーダナンダが二度目に行ったときには、経典は所在不明になっていた。ところがこのフィルムに登場する僧は、それよりもあとに経典を目にしているのだ。経典が現れたり不明になったりするのは、いったいどういうことなのだろうか。どちらにせよ、現在は完全にその姿をくらませてしまっている。
19世紀から20世紀にかけて、修行を重んじるヒンドゥー教の多くの教派は、キリスト教の神髄とヒンドゥー教の神髄には共通するものがあると考えた。リシケシュのシヴァーナンダ・アシュラムを創設したシヴァーナンダ・サラスワティー(1887−1963)もそのひとりだった。フィルムでは、シヴァーナンダの弟子ヴェンカテシュナンダが語る。彼によれば、イエスはインドに来てヴェーダンタ哲学を学び、修行を積み、ヨーガ行者となったという。
フィルムはついでトマス伝説について語り、そしてイエスの影響を受けたヨガナンダとセルフ・リアリゼーション・フェローシップについて説明する。またエドガー・ケイシーがアカシック・レコードをリーディングして、イエスがインドに来たことを知ったことにも触れている。
ボックは聖骸布の意義を強調する。フライ博士は、布に付着していた花粉から、聖骸布が二千年前の中東から来た可能性が強いと述べる。聖骸布は、キリリアン写真と仕組みはおなじだという。キリリアン写真とは、エネルギーを写し取る写真術のことである。それはアストラル体を複写する技術といってもいい。キリスト教の聖画に描かれる光背(ハロー)は、あらゆる生命体が持つ生命力(ライフ・フォース)である。それはインド哲学においてはチャクラとして知られる。
ボックの話題は聖骸布とキリリアン写真から、一挙にロンギヌスの槍(聖槍)へと飛ぶ。ヨハネの福音書にのみ記されているエピソードだが、イエスが磔にされたとき、ローマ兵はイエスのわきを槍で着いた。すると血と水が流れてきたので(つまり死が確認されたので)足を折ることはなかった。伝説によれば、兵士は白内障を患っていたが、目にその血を浴びたことにより、視力を取り戻したという。この兵士、ロンギヌスはのちに洗礼を受けたので、聖ロンギヌスと呼ばれるようになった。
このロンギヌスの槍は十字軍によってヨーロッパに持ち込まれ、ハプスブルク家の家宝となっていた。ヒトラーはオーストリアを攻めたとき、この聖槍を手中にした。聖槍を持つものは世界を制覇すると信じられていたからである。
しかし第二次世界大戦末期、アメリカ兵がこのロンギヌスの槍を発見し、パットン将軍に渡した。するとヒトラーは自害したという。槍はパットン将軍からアイゼンハワー大統領へと渡り、いまも米国のどこかに保管されているとされる。
フィルムの末尾を飾るエピソードは化身(アヴァタル)である。イエスもまたクリシュナの化身といえるかもしれない。現代のクリシュナの化身はサティヤ・サイババだろうとボックは言う。サイババは何千人もの聴衆を前にして語る。イエスはヒマラヤにやってきて修行を積んだのだと。
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