シャンカラチャリヤかく語りき        宮本神酒男 

「ありえることです。われわれは知らないのですから」とフィルムの冒頭、慈愛あふれる表情で語るのは、ナグハマディ文書やグノーシス思想の権威、エレーヌ・ペイゲルス(1943− )だ。イエスが聖書に書かれていない12歳から30歳までのあいだ、インドへ行って学んだり修行したりしたという説は、一見ばかばかしいトンデモ説のようだが、それを否定する証拠もわれわれは持っていない、とペイゲルスは語っているのである。しかし彼女が積極的にイエスのインド修行説を認めることはないだろう。彼女自身も「ヨハネ福音書はトマス福音書を否定するために書かれた」というやや異端的な説を唱えていることから、異端説に対して寛容なだけなのだ。

 インタビューした人々のなかで、もっとも頑強に否定しているのは、バチカンのローマ法王大使、コラド・バルドゥッチ氏だ。本当なのかどうか、バルドゥッチ氏は「ずっと神学を研究してきたが、そんな話はいまはじめて聞いた。それは噂話にすぎないだろう」と話に興味がないことを強調する。

「火のないところに煙は立たないといいますよ」とエドは食い下がる。

「それはデタラメだ! イエスがツーリストみたいにインドへ行くはずがないだろう!」とバルドゥッチ氏は、最後お怒りモードだった。ずいぶんとふざけたインタビュアーと思われたにちがいない。たしかにエドの質問の仕方は単刀直入すぎて、不躾だったかもしれない。せめて「イエスはインドの影響を受けているという説があるが、どうお考えか」程度にとどめるべきだったと思う。

 フィルムの中でローマ法王大使と交互に発言しているのが、イエスのインド滞在説に肯定的な145代目のシャンカラチャリヤだ。シャンカラチャリヤにインタビューしていること自体が驚きだが、「イエスはインドに来た」という説を支持していることはもっと驚きである。初代シャンカラは、不二一元論(アドヴァイタ)を説いたかの哲学者アディ・シャンカラ(700?−750? 9世紀の人ともいわれる)である。このヒンドゥー教の本道中の本道をゆく権威が主張するなら、耳を傾けないわけにはいかない。ただしこのフィルムのなかでは、初代シャンカラは紀元前506年の生まれとなっている。

 シャンカラは、イエスはインドに来てアチャル・サンヒタ(行動律)を学んだと主張する。そして当時のシャンカラとも会ったにちがいないという。しかしそのことを記録した文書は侵略者から守るためにどこかに埋めて隠された。そのためそれを見つけ出すのは困難になってしまったという。

「イエスは誠実、慈悲、思いやり、奉仕の心、あわれみ、倫理といったわれわれの教えを学びました。イエスはヒンドゥーの教えの恩恵を蒙っているのです。バヴィシュヤ・マハー・プラーナに書かれています。カシミールでイエスはシャリヴァハナ王と会ったと。彼はカシミールに暮らし、インド中を旅したのです」

 第13章で述べたように、バヴィシュヤ・プラーナは偽書ではないが、近年に至るまで書き足されてきたまれなタイプの古書であり、歴史性において信用できるとは言い難い。しかしイエスがインドに来たという伝説ないし伝承が古くからあったことの証左にはなるだろう。

 


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『禁じられた福音書』など数冊の邦訳もある著名な学者のエレーヌ・ペイゲルス。インドのイエス伝説を一笑に付したり、トンデモ呼ばわりしたりしないのは、さすがだと思う。


一方ローマ法王大使は異端説を受け入れようとしない。バチカンの法王の代理であれば仕方ないことなのか。


第145代目のシャンカラチャリヤはマハー・プラーナを絶対的に信用するという立場上、イエスがインドに来たという説に肯定的である。