ノトヴィッチの残像
エドワード・T・マーティンにとっても、ラダックのヘミス僧院におけるノトヴィッチのイッサ文書発見(1887年)は調査すべき大きな謎だった。すでに述べたように、それが偽書である可能性は高いが、アベーダナンダやレーリッヒのような信用できる人々がその目で古文書あるいはその写本を目撃しているのである。そしてある時期に忽然と姿を消し、それ以来行方がわからなくなってしまったのだ。
このフィルムのなかでヘミス僧院の僧が語る。
「証拠があるかどうか、われわれはじっくりと調べるべきでしょう。もしそれが存在し、見つけることができたら、世の中にセンセーションを起こすのはまちがいありません。逆に、もし公表しなかったら、われわれは証拠を隠滅したとして非難されるでしょう。しかし文書があるかどうか、言うことができないのです。なぜならわれわれのリンポチェ(活仏)は幼い頃にチベットに行ってしまい、40年も50年も戻ってきていないからです。リンポチェが戻ってくるまでは、翻訳事業もストップしたままです。リンポチェがおっしゃるには、ダライラマ法王もラサの書庫でそれを見たことがあるそうです。そのことをダラムサラでダライラマ法王に会った研究者も確認しました」
ヘミス僧院の僧から聞いた最新の情報であるにはちがいないのだが、どうも雲をつかむような話しぶりで、要領を得ない。またフィルムのなかでヘミス僧院の書庫が映し出され、リンポチェの許可なしに勝手に取り出すことはできないと述べているが、そこまで厳重に管理されているとは思えない。それにこの程度の書庫なら、ラダックのどの寺にも、いやチベット文化圏のどの寺にもあり、特別なものが保管されているようにも見えないのだ。それに帰ってこないリンポチェとは、どのリンポチェのことなのか。翻訳(英訳)の問題もあるのだろうが、どうもはっきりしないことが多すぎるのだ。
なおノトヴィッチのイッサ文書とそれをめぐるいきさつについては、当然米国在住のエリザベス・クレア・プロフェットに取材すべきなのだが、第19章にも書いたように、彼女は1999年頃からアルツハイマー症を発症したため、インタビューは不可能であったと思われる。
⇒ つぎ
ユダヤ系ロシア人戦争ジャーナリスト、ニコライ・ノトヴィッチは謎の多い人物だった。彼がイッサ文書を捏造したかどうか、はっきりとはわからない。没年すら不明。
『イエス・キリストの知られざる生涯』は大反響を巻き起こした。現在にいたるまで真正の古文書と考える人々がいる。
ヘミス僧院の僧はイッサ文書の存在を否定はしなかった。