イエスの墓をめぐる論争           宮本神酒男 

 平和部隊に入り、アフガニスタンに駐留していた頃、エドワード・T・マーティンはアジズ・カシミリの『カシミールのキリスト』(1983)を目にして、驚かずにはいられなかった。イエスは12歳から30歳までのあいだの何年間かインドを遍歴しただけでなく、磔刑後もインドのカシミールにやってきて、長く暮らしたというのだ。イエスがカシミールを永住の地として選んだのは、ユダヤの失われた10支族の末裔がここに移住していたからだという。彼らなら教えを受け入れてくれるとイエスは考えたのかもしれない。

 カシミール人はその容貌がユダヤ人に似ているだけでなく、食習慣や生活習慣までそっくりだった。そればかりかイスラエルの地名とカシミールの地名は驚くほど似ていて、一致するものも少なくなかった。イエスが来た証拠にはならないかもしれないが、ユダヤとカシミールの間には特別な絆がありそうだった。

 エド、ことエドワード・T・マーティンはついにカシミールのイエスの墓といわれる聖者廟に入る。昔のように簡単には入れなくなってしまっていた。棺には近づけず、鉄柵のあいだから覗き見ることしかできない。イエスの聖なる「足跡」にいたっては、布がかぶされていて、もはや見ることはできない。

 エドは果敢に聖者廟の周辺に住む人々にインタビューをする。ある男性は叫んだ。「これはイスラム教徒の墓だ。イエスの墓のわけがない」

老人のひとりは興奮して口角泡を飛ばした。
「アジズ・カシミリという男がいる。そいつはウソつきだ」
 すると周辺の男たちも「そうだ、そうだ、ウソつきだ」と唱和する。

「どうしてウソをつく必要があるのですか」
「そりゃカネになるからだよ。ほかに理由があるかね」

 中年男性も加勢する。
「これは聖なるコーランへの侮辱でもある。以前西洋人の白人女が墓をほじくりかえしてDNA用のサンプルを持っていったのだ」

 白人女性なら、おそらくスザンヌ・オルソンだろう。功を焦るあまり、聖者廟をけがす暴挙に出たのかもしれない。しかしDNAサンプルを採取したのはケルステンだったという話を聞いたことがある。情報が錯綜しているようだ。

 イエスの墓の秘密を解く鍵は、ロンドンにあった。ロンドン南郊のモーデン・サウス駅近くにある西欧最大級のモスク、バイトゥル・フトゥ・モスク。じつはこの近代的なモスクは、アフマディヤ派に属している。エドはここで「イエスの墓」というサイトのエディターであるアリフ・ハーンという青年にインタビューをしている。エドはやや遠慮がちで、この青年にたいしあまり突っ込みを入れていないが、アフマディヤ派が「約束されたメシア」ミルザ・グラーム・アフマド以来この墓(ローザバル廟)をずっとイエスの墓として担ぎ上げてきたことには、疑惑がないとはいえないだろう。

 


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カシミール・スリナガールのダル湖。彼らの祖先は、ユダヤの失われた10支族なのか。


カシミールのイエスの墓といわれるローザバル廟。棺は密閉された部屋に閉じ込められてしまった。


サイト「イエスの墓」を運営するアリフ・ハーン。イスラムの異端的な宗派、アフマディヤ派がイエスの墓説を唱えてきた。