アベーダナンダ、ヨガナンダ、そしてダライラマの言葉
エドはコルカタでアベーダナンダが過ごしたというラーマクリシュナ・ミッション内の部屋を訪ねている。アベーダナンダはヘミス僧院でイッサ文書を目にしたという面で功績は大きいのだが、第2章「イエスについて語る」で紹介したように、インド哲学からキリスト教をとらえようとした思想家として、私は評価したい。
パラマハンサ・ヨガナンダもしかりである。「あらゆる宗教はひとつの真理を求めている」とヨガナンダの弟子の系譜につらなるセルフ・リアリゼーション・フェローシップのブラザー・チダナンダもヨガナンダの言葉を伝えているのだ。
フィルムのいわばトリを飾るのは、ダライラマ14世である。イエスが歴史上本当にインドに来たかどうかなんて、二次的な問題にすぎないのかもしれない。イエスの教えのなかに、インドの思想の本質が含まれているかどうかが重要なのだ。ダライラマは語る。
「すべての宗教はおなじメッセージを伝えようとしています。それは愛、思いやり、許し、自己訓練、満足などです。ユダヤ・キリスト教的なバックグラウンドをもつ西洋の国々においては、異なる精神をもった異なる人々のために、異なったアプローチの仕方が存在するのです。つまり異なる価値観を推し進めていくために、異なる哲学が必要とされるのです。それゆえ互いに尊重しあい、ともに仕事をしていくための基礎が必要となってくるのです」
アベーダナンダが暮らした部屋はいまも保存されていた。すべての宗教はひとつの真理を求めていると最初に説いたのは師のラーマクリシュナだった。
キリスト教においても「神との合一」があると考えたヨガナンダの教えを継承するチダナンダ。
ダライラマ法王の他宗教をも理解しようとする精神の自由さには感服してしまう。