(2)イエスの知られざる生涯           宮本神酒男 

 13歳から30歳までの空白期間に入る前の過ぎ越し祭のエピソードについて、ルイスは興味深い説を唱えている。ルイスによれば、当時のユダヤ人社会には「13歳になった男子は祭礼に参加しなければならない」という風習があったというのだ。もしかすると成人儀礼と関係しているのかもしれない。

 もっと驚くべき見解は、イエスの両親がアーリア人種の異邦人(ジェンティル)であったということだ。ガリラヤ人はヘブライ語以外の言語を話していたという。ルイスによればエジプトを支配していたのもアーリア人種だった。イエスがダビデの末裔でないというルイスの主張は当然の帰結ということになる。ダビデの末裔であるなら、ユダヤ人であり、アーリア人種ではないということになってしまうからだ。聖書にはダビデとつながる家系図まで載っているが、これは後世に挿入されたものだとルイスは述べる。時代を考えればしかたないことかもしれないが、反セミティズム(反ユダヤ主義)、あるいは人種差別のそしりを免れることはできないだろう。

 またイエスはしばしばナザレのイエスと呼ばれるが、ナザレというのは地名ではなく、秘密の宗派、あるいは学派につけられた呼び名だとルイスは述べる。当時、ナザレという村は存在しなかったのだ。三百年後、聖ヒエロニムス(340?−420)は異端の教義を信奉する人々のことをナザレ人と呼んでいた。ナザレ派は、メシア(救世主)を信じ、その到来を待つ人々だった。

 ルイスによれば、ヨセフ少年(イエスの本来の名はヨセフだという)はふたりのマグス(博士)といっしょに隊商を組み、インドのジャガンナートへ行った。旅の途中、マグスたちはヨセフ少年に人類の苦悩、理想の欠点と長所などについて教えた。ジャガンナート(現在のプリ―)は仏教の中心地だった。*ジャガンナートはもともと土着神信仰の根強い土地だったが、クリシュナ信仰がさかんになり、ヒンドゥー教の中心地となった。イエスの時代に仏教が栄えていた可能性は十分にある。

 ヨセフ少年はジャガンナートの僧院に一年滞在した。このときのラマースという教師をヨセフ少年はのち、パレスチナのエッセネ同胞団に招いた。

 その後ヨセフ少年はベナレス(ヴァラナシ)に数か月滞在し、倫理学、自然法則、語学について学んだ。またヒンドゥー教最高の治療家とされるウドラカから治療法とヒンドゥー教の原理について学んだ。

 そのあとインドの地方をめぐりながら学び、ジャガンナートに戻ってそこに二年間滞在した。彼はカタクという町で教師をつとめ、たとえ話や物語を使って教えるすべを身につけた。そして彼の評判は高くなり、ラホールの高僧の訪問を受けることになった。高僧は彼に下層階級や庶民のなかに出ていくことをやめさせようとしたが、ヨセフはあえて人々のなかに入っていった。敵対勢力の存在を認識したのもこの頃のことだった。

 インドを去ったヨセフはペルシアに一年ほど滞在した。ペルシアの年老いたマグスは、ヨセフが生まれたときに訪ねた3人のマグス(三博士)のうちのひとりだった。この頃になるとヨセフは同行しているマグスたちに逆に教えを与えることができるようになっていた。彼が教えたのは、瞑想のあと静寂のなかで得たものだった。またヨセフは治療能力をかなり高めていた。患者の信仰、または「同調」が治癒の結果に大きく影響していることを彼は学んだ。

 ヨセフはバビロン、ギリシアをへて、アレキサンドリア、ヘリオポリスを旅した。こうしてヨセフは大白色聖同胞団の入門者となり、マスター(達人、つまり聖人)へと成長していった。といってもその道はけっして容易ではなく、いくつもの試験や試練を乗り越え、ようやくたどりついたものだった。

 


⇒ つぎ 

⇒ 目次