予言者エリザベス・クレア・プロフェット(2)    宮本神酒男 

 エリザベスは1939年、ニュージャージー州レッド・バンクのウルフ家に生まれた。オハイオ州のカレッジに通い、ボストン大学から文学士が授与された。生涯にわたって彼女に暗い影を落としたのは、幼少の頃から癲癇(欠伸発作)を患っていたことだった。長じてからも発作に見舞われることがあった。1992年、発作(強直間代発作)に襲われたときは、4年ぶりの発作だったので、頻度は減っていたのかもしれない。

 ボストンのクリスチャン・サイエンス教会で日曜学校の教師を務めているとき、出会った男性と最初の結婚をした。その翌年、ボストンに招かれたマーク・プロフェット(
19181973)と運命的な出会いをする。マークは「アセンディド・マスター」、すなわちマハトマについて講演をしたというのだから、神智学系の精神的指導者である。自ら率いる組織をサミット・ライトハウスと呼んだ。彼らは1963年に結婚し、エリンを含む4人の子供をもうけた。

 彼らは1965年、拠点をヴァージニア州フェアファックスに、1966年、コロラド・スプリングスに移した。注目すべきは、1970年にモンテッソーリ学校を開設したことだ。第2章「カスパリ夫人の証言」で述べたように、ラダックでイッサ文書を見たカスパリ夫人はインドで教育者のマリア・モンテッソーリと出会っている。それがきっかけとなり、1950年代にカスパリ夫人はモンテッソーリ学校を再興していたのである。エリザベスがイッサ文書について書くことになったのは、カスパリ夫人の影響が大きかったかもしれない。

1973年、21歳年上のマークは55歳の若さで逝去し、共同指導者であったエリザベスが単独で組織を率いることになった。組織の名もサミット・ライトハウスからチャーチ・ユニバーサル・アンド・トライアンファントに変更した。同年には組織のスタッフの男性と三度目の結婚をしている。

 1977年、教会はロサンゼルス郊外のカラバサスの土地を購入し、本部をそこに移した。1986年にその土地を売却し、1981年に購入していたイエローストーン国立公園近くの土地(モンタナ州)に移転した。*ちなみにカラバサスの売却先はじつは創価大学だった(大学院のみ)。創価大学はその8年後にオレンジ郡のアリソ・ヴィエホ市に移転し、アメリカ創価大学としてスタートした。

 1981年、エリザベスは組織の副代表である男性(エドワード・フランシス)と四度目の結婚をした。

 娘のエリンに言わせれば、「モンタナに移った1986年の年末が、ニューエージの世界において見る能力、信憑性のピークだった」ということである。何を根拠にピークと言っているのかわからないが、この時期の求心力はすさまじく、信者の数はうなぎのぼりに増え、核戦争の予言が説得力を持つようになっていたのだろう。

 『イエスの失われた歳月』が出版されたのもこの頃だった。聖書に書かれていない謎の17年のあいだに、イエスはインドに来て、転生やカルマ、女性の崇高さについて学んだと確信を持って語るようになったのだ。

1996年、フランシスと離婚。その原因のひとつはエリザベスの浮気だった。その時期、教会内の男たちに色目を使っていたが、彼らは拒んだ。というのも、あきらかに彼女に記憶障害が見られるようになっていたからだ。

 1999年、エリザベスはアルツハイマー症と診断され、教会の仕事から引退し、療養生活を送ることになった。医師は否定したが、癲癇とアルツハイマー症との間には何か関係があるのではないかとエリンは考えた。2009年10月15日、永眠。




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