ヴィヴェーカーナンダにとってのキリスト教と普遍宗教    宮本神酒男 

 迂闊なことに、ヴィヴェーカーナンダ(18631902)がノトヴィッチについて言及していることに私は最近まで気づかなかった。シカゴで開催された第1回世界宗教会議で成功をおさめ、つづく欧米外遊(18931897)を終えたヴィヴェーカーナンダは、1897年、4年ぶりに帰国し、その足で講演旅行を開始した。インド文化の優秀さを西欧に紹介したヒーローとして熱狂的に迎えられた彼は、スリランカのコロンボを起点に、ジャフナ(スリランカ)、パムバン(以下はインド)、ラメーシュワラム寺院、ラムナド、パラマクディ、マナマドゥラ、マドゥライ、クムバコーナムなどを回ったあと(最終地点はアルモラ)、マドラス(現チェンナイ)で『インドの賢人たち』という題の講演をおこなった。そのなかでノトヴィッチの名こそ出していないものの、イッサ文書に触れているのである。あくまでも、批判的にだが。

 1、2年前、ロシア人紳士が一冊の本を出版しました。それにはイエス・キリストのとても奇妙な生涯が書かれているのです。彼の主張によれば、キリストはインドにやってきて、ジャガンナート寺院を訪ね、バラモンのもとで学んだというのです。しかしキリストはしばらくすると、バラモンの閉鎖性と偶像崇拝がいやになり、チベットのラマのもとへ行ったのです。彼はそこで完璧な存在となり、それから帰郷したのでした。

インドの歴史をすこしでも知っている者ならだれでも、これが嘘っぱちであることがわかります。ジャガンナート寺院は、昔は仏教寺院だったのですから。それはあとになってヒンドゥー寺院になったのです。このようにわれわれには学ぶべきことがたくさんあります。ジャガンナート寺院には当時バラモンはひとりもいませんでした。それなのにイエス・キリストがやってきてバラモンから学んだなんて言うんですから。ロシア人の考古学者かなにか知りませんが、ありえないことです。

 この講演の文章が書かれたのが1897年であり、ノトヴィッチの本が世に出たのが1894年(フランス語版)および1895年(英語版)なので、「1、2年前」というのはほぼ正しい。世界宗教会議ではノトヴィッチの本のことが相当話題になっていたであろうと推測することができる。大半の宗教研究家や宗教者はこの本にたいし批判的だったであろう。ヴィヴェーカーナンダもイエスがインドに来て学んだとか修行したという話をまったく信じていなかった。

 ルイ・ジャコリオの影響もあってか(⇒「クリシュナはキリストか」)ヴィヴェーカーナンダは「クリシュナ」と題された講演のなかで、クリシュナとキリストの類似性を引きあいに出す。

 イエスの生涯とクリシュナの生涯のあいだには、おおいに類似性が認められます。どちらかが借用された可能性については論じられているところです。どちらにも専制的な王が登場します。両者とも飼い葉桶に生まれました。どちらも両親が拘束されました。両者とも天使に助けられました。どちらもおなじ年に生まれた男児がみな殺されました。少年時代はほとんどおなじです……。そして両者ともおなじような死に方で終わります。クリシュナの死は偶発的ですが。クリシュナは彼を死に追いやった男を天に送っています。キリストも殺されましたが、泥棒を祝福し、天国へと送っているのです。

 ヴィヴェーカーナンダが述べていることはやや不正確で言葉足らずの印象があるが、クリシュナとイエスが不思議と似ている点にはだれも異論をはさめないだろう。彼はさらに新約聖書とバガヴァッド・ギーターの類似を強調し、人間の考えというものが普遍的であるという結論を導き出そうとしている。

 新約聖書とギーターのあいだにはたいへんな類似性があります。人間の思考というのはおなじなのでしょうか。クリシュナの言葉のなかにその答えがあるような気がします。

そしてバガヴァッド・ギーターの一節を引用する。

正義が衰退し、悪がはびこるとき、わたしはやってくる。何度でもやってくる。それゆえ汝は人類を救出すべく戦う偉大なる魂を見るだろう。わたしがいつでもやってくることを知るがいい。

 クリシュナもイエスと同様に救世主である。だからといってイエスがインドにまでやってきてインドの宗教を学んだということにはならないだろう。ヴィヴェーカーナンダは師であるラーマクリシュナを受け継ぎ、目に見えるさまざまな宗教、すなわちキリスト教やヒンドゥー教、仏教、イスラム教などの向こうに霊的な真理があると考えていた。彼はそれを普遍宗教と呼んでいたのだ。


⇒ つぎ 

⇒ 目次