オカルティストが説く聖書インド起源説       宮本神酒男 
(2)クリシュナはキリストか 

Zeus - Jezeus - Isis - Jesus

 ジャコリオはこのような意味ありげな語を列挙し、聖書の言葉がもともと同一の源から発しているかのように論を展開する。Zeusはサンスクリット語だという。この時点で論が破綻しているのだが、ジャコリオはおかまいなしだ。ゼウスはもちろんギリシア語で、インドでは天空の神Dyaus Pita(ディヤウス・ピーター)に相当する。ディヤウスとゼウスはよく似ていて古代の神がインドとギリシアでおなじ源にたどることができるとすれば非常に興味深いのだけれど、Zeusと間違った表記をすることで、信用性を一挙に貶めることになってしまった。

 さらにそこからJezeusという(彼の言う)サンスクリット語をもってきて、Jesus(イエス)との深い関連性をほのめかす。エジプトの女神Isis(イシス)もまたなんとなくイエスと似ているようでもある。しかしイシスはギリシア語であり(原語ではアセト)イエスに相当するエジプトの神ならイシスの夫オシリスを挙げるべきだろう。

 ジャコリオのもっとも罪深き点は、クリシュナをChristnaと表記し、クリシュナ=キリストという印象に誘導したことだろう。彼は「Kristnaと書くべきところをChristnaと書いた」とわざわざ説明しているが、KrishnaKristnaと書いたことについては何も説明していない。

 語源的にはクリシュナとキリストはまったく関係ない。クリシュナは「黒い、暗い、青黒い」あるいは「魅力ある者」を意味するサンスクリット語である。一方キリストは救世主、メシアを意味するギリシア語クリストスだ。

 とはいえ、クリシュナとキリストがなんとなく似ているのはたしかなことなのだ。それはなぜだろうか。S・アチャリアは両者の類似点を列挙している。

 

クリシュナは12月25日、処女デーヴァキから生まれた。

地上の父は大工。クリシュナが生まれるとき税を払うため町の外にいた。

彼の誕生は東方の星と天使や羊飼いの参加が徴だった。そのとき香料が贈られた。

誕生のとき天上の主たちは踊り歌った。

何千人もの幼児を虐殺しようとした暴君によって彼は迫害された。

クリシュナは彼が癒した女から頭に香油を塗ってもらった。

彼は蛇の頭の上に足を置いた姿で描かれる。

彼は奇跡によって死者を起こし、らい病患者や聾唖者を癒した。

クリシュナは寓話を用いて人々に慈善と愛について教えた。彼は清貧に生き、貧しい者を愛した。

彼は聖職者たちを激しく批判し、貪欲で偽善的だと責めた。言い伝えによれば彼は聖職者から復讐され命を落とした。

クリシュナがもっとも愛した弟子はアルジュナだった。Arjuna=Ar-jouan (ヨハネ)

彼は弟子たちの前で変身した。

彼は弟子たちに奇跡を起こす能力を与えた。

彼の道には枝が撒かれた。

言い伝えによれば彼は木の上で死んだ。あるいは二人の泥棒のあいだで磔にされた。

彼は30歳前後で殺された。死に際し太陽が暗くなった。

彼は死者のなかから立ち上がり、群衆の見守るなか天国へ昇って行った。

足に釘の穴が穿たれ、衣にハートの紋章をつけ、磔にされた姿で描かれる。

クリシュナはサキ種族の獅子である。

彼は神の羊飼いと呼ばれ、贖い人、最初の生まれ、罪負い人、解放者、普遍の言葉とみなされた。

彼は太陽の息子であり、人類を救って死ぬために地上にやってきたわれらの主であり救世主だった。

彼は三位一体の二番目の神格である。

彼の弟子たちはジェゼウスあるいはジェセウスという称号で呼ぶ。意味は純粋な本質。(ジャコリオによる)

クリシュナは死者の審判のために白馬に乗って帰ってくる。そして地球を荒廃させようとする悪魔の王子と戦う。

 

 S・アチャリアの説によれば、クリシュナ信仰は紀元前800年にはフェニキア人によって、西洋に到達していたということである。ヒギンズによればアイルランドに達したのはもっと前にさかのぼれるという。1世紀には前述のテュアナのアポロニオスによってもふたたび導入された。このようにクリシュナ信仰はわれわれが想像する以上のはるか昔に西洋に伝播し、そのなかからキリスト教が生まれたと考えられるのである。

 

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