アベーダナンダの再発見
ノトヴィッチが発見したと称するイッサ文書を含む『イエス・キリストの知られざる生涯』は各国語に翻訳され、マックス・ミュラーのような大学者を巻き込んで大論争を引き起こすことになった。
とはいえ読めば一目瞭然、それが真正の古文書とはとうてい思えなかっただろう。ブームというものは長続きしない。イッサ熱が冷めるのもそれほど時間がかからなかった。
ただ「イエスは知られざる年月の間にインドへ行って修行したかもしれない」という伝説のようなイメージが人々の心に残った。イエスがインドやチベット、ペルシアなどを遍歴する物語、リーバイ・ドーリングの『宝瓶宮福音書』(1908)はそうした時代の空気が生み出したものといえるだろう。
忘れられかけていた熱は、1922年のアベーダナンダのヘミス僧院訪問によって呼び覚まされた。ノトヴィッチが捏造したのではないかと疑いの目で見られていたイッサ文書を彼が目にすることができたのだ。
アベーダナンダ(1866−1939)はコルカタ生まれの生粋のベンガル人だ。
18歳のとき以来ラーマクリシュナの弟子となり(十五大弟子のひとり)欧米にその思想を広めるのに寄与した。
ラーマクリシュナははじめてアベーダナンダに会ったとき、「前世においてあなたは偉大なヨーギであった。この生が最後である(もう転生はしない)。ヨーガの実践において私はあなたにイニシエーションを授けよう」と語ったという。
1886年、ロンドンに滞在していたヴィヴェーカーナンダ(ラーマクリシュナの高弟であるが、彼自身偉大なヴェーダンタ哲学者であり、インド哲学を世界に紹介した貢献は大きい)に請われてその助手を務め、翌年からはニューヨークのヴェーダンタ協会の主事を務めるようになった。
四半世紀に及ぶ米国生活を終えたあと、インドにもどり、その際にヘミス僧院に立ち寄ったのである。同行した弟子がまとめた『カシミールとチベットへの旅』は興味深い考察を多々含んだ旅行記だ。ノトヴィッチの旅行記と比べても、歴史や宗教、文化について格段に詳しい情報が記されている。
それによると、スワミジ(敬称。アベーダナンダのこと)は米国でノトヴィッチの『イエス・キリストの知られざる生涯』を読んで興奮を覚えたという。その叙述の真偽をたしかめるために、艱難を乗り越えてヘミス僧院までやってきたのである。
スワミジはラマに単刀直入にたずね、ノトヴィッチの言っていることが正しいことを確認した。スワミジは件の経典を見たいと思った。
ラマは棚から経典を取り出し、スワミジにそれを見せた。ラマが言うのは、これは写したものにすぎず、原本はラサ近くのマルブルの寺にあるという。原本はパーリ語で書かれているが、これはチベット語に訳されたものだという。
すでに述べたように、このラサ近くのマルブルはおそらくポタラ宮殿のあるマルポリのことだろう。寺とはナムギェル・ゴンパのことである。
われわれはこの場面を読んで当惑してしまう。ノトヴィッチの仏教やチベットに関する情報の不確かさから、ヘミス僧院でイッサ文書を見せてもらったというのはフィクションか虚偽ではないかと感じていた。しかしいま、アベーダナンダはヘミス僧院にいて、ラマからイッサ文書を見せてもらっているのだ。
うそつきが二人いるのか?
しかしノトヴィッチは経済的理由から、あるいはスパイ工作のためにでっちあげをする可能性が否定できないとしても、アベーダナンダに切迫した理由はないだろう。アベーダナンダは宗教の実践者であり、哲学者である。トンデモ宗教者呼ばわりはされたくないはずだ。
もうひとつの可能性は、偽書であるにせよ、イッサ文書が実在したことだ。
文書はチベット語訳にすぎず、二千年前のものである必要はない。
もし偽書であるとするなら、それは誰が何のために書いたのか。S・アチャリアの説によれば、イッサ文書は仏教プロパガンダだという。「つまり、西洋の偉大なる賢者イエスが仏教に感化され、永遠の解脱を達成した釈迦の教えを学んだと言いたいわけだ」と彼女は述べる。
しかし仏教プロパガンダよりはキリスト教プロパガンダのほうがありえるのではないだろうか。イッサ文書は、手元にあるものはチベット語で書かれているのだ。すなわちラダック人を含むチベット語を話す人々向けのものなのだ。
イエスがブッダのひとりであるなら、仏教徒である自分がイエスを崇拝してもなんら矛盾がない、と庶民に感じさせるのが狙いではなかろうか。
あとで詳しく述べたいが、イエスとヒンドゥー教、あるいはイエスとイスラム教を融合したい人々にとってもイッサ文書は都合がよかった。キリスト教とヒンドゥー教に共通の真理が見出せるのは、イエスがインドに来てインド哲学の本質を学んだからだ、と言いたいのだろう。
アベーダナンダはラーマクリシュナやヴィヴェーカーナンダと比べるとその知名度においてはるかに劣るが、その神秘主義的な宗教思想は注目すべきである。
彼の著作のなかにエッセイ『キリストはヨーギか?』というのがある。これを読めば、なぜアベーダナンダがイッサ文書を再発見するにいたったか、わかるような気がする。
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