イエスは英国に行った                宮本神酒男 

(1)アリマタヤのヨセフに連れられてブリタニアへ  

 『グラストンベリーの伝統』の著者E・レイモンド・キャプトは、新約聖書のなかで「イエスの12歳から30歳までのことが何も語られていないのは奇妙だ」と指摘する。

 イエスの少年時代の最後の記述は、すでに述べたように、過ぎ越しの祭りでのできごとである。行方不明になった息子を探しに両親がエルサレムに戻ると、イエスは神殿のなかで教師たちと意見をかわしていた。このエピソードのあと「イエスはますます知恵が加わり、背丈も伸び、そして神と人から愛された」(ルカ2章51)という妙にシンプルな、唐突な一節で少年時代を終える。

イエスは教師たちと意見をかわしていた。 

 そのあと18年の時が流れ「(イエスは)育ったナザレに行き」「シナゴーグ(会堂)にいるみんなの者の目がイエスに注がれた」「そして彼らは言った、この人はヨセフの子ではないか」(ルカ4章16−22)

 この表現には驚かされるとキャプトは言う。イエスは子供時代を過ごしたナザレを離れ、どこか別の場所で過ごしてきたということなのだ。人々にとってこの旧約聖書を読んでいる男が本当にイエスかどうか確信を持てなかったのだ。

 人々は言う。「この人は大工の子ではないか。母はマリアといい、兄弟たちはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。またその姉妹たちもみな、わたしたちと一緒にいるのではないか。こんな数々のことを、いったいどこで習ってきたのか」(マタイ13章53−56)

 この「数々のことを学んできた場所」はどこなのか、後世の人々は頭を悩ませ、また想像力をかきたてられてきた。イエスはエジプトに行って学んだのではないか、いやインドに行って学んだのではないか、そういったさまざまな説や伝説が生まれた。

 エジプトやインドといったメジャーな伝説と比べればずっと地味であまり知られていないのが、アリマタヤのヨセフとともに英国サマーセット地方のグラストンベリーに行ったとされる伝説だ。アーサー王でおなじみのアヴァロン島を舞台とし、聖杯伝説もかかわってくる魅力的な伝説なのだ。

イエスの叔父(?)アリマタヤのヨセフは重要人物と目される。

 アリマタヤのヨセフとはだれなのか。磔刑のあと総督ピラトに願い出てイエスの遺体を引き取ったのがこのヨセフである。ヨセフがどんな人物かといえば、福音書に「アリマタヤの金持ちで、イエスの弟子」(マタイ)「地位の高い議員で、彼自身神の国を待ち望んでいる人物」(マルコ)「善良で正しい人、議員。神の国を待ち望む」(ルカ)「ユダヤ人をはばかってひそかにイエスの弟子となった人」(ヨハネ)と記されているので、ほぼその人物像をつかむことができる。

 福音書に共通するのは、議員(サンヘドリンのメンバー)で、金持ちで、ひそかにイエスの弟子となった、神の国を望んでいたアリマタヤ(現在のエルサレムの西方の町ラムラ)の人物、ということである。しかし福音書はもとになった文書(Q資料)から孫引きしていることもあるので、ほかに情報が隠されているかもしれない。

 キャプトによれば、伝統的に東方教会では、ヨセフはイエスの大叔父とみなされてきたという。そのことはユダヤのタルムード(モーゼが伝えたとされる口伝律法文書)からも確認することができる。それによるとヨセフはマリアの父の弟であり、娘はアンナという名で、マリアの従姉妹だという。

 またヨセフはJoseph de Marmoreと称されることがある。Marは王、Moreは偉大なる、といった意味だ。つまり大王ヨセフといういささか神格化された称号なのである。これはもちろんダビデの血統をひいているということを示している。

 アリマタヤのヨセフに連れられてきた少年イエスは、地元のドルイド教を学んだと思われる。ドルイド教には三つの教えがあった。一、神を崇めよ。二、すべての人に対して正しくあれ。三、国のために死を恐れるな。

 またドルイド教にも三位一体があった。「過去」に相当する創造者はベリと呼ばれた。「現在」を管轄し、コントロールするのはタランと呼ばれた。「未来」の来たるべき救世主とされるのはイエスと呼ばれた。この過去・現在・未来の三位一体は、キリスト教の三位一体というよりゾロアスター教の影響を感じさせる。救世主のイエス、あるいはヘススは、キャプトによればイエス・キリストがやってくる前からあった言葉だという。

 イエスが本当にやってきたかといえば、実際、物証が少なくて根拠が乏しいと言わざるをえない。キャメル川の河口付近にあるイエスの井戸は数少ない遺跡である。ここはヒーリング・パワーをもつ場所として知られてきた。しかしもちろんこの井戸をもって少年イエスが来たと称することはできない。

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