(2)錫交易と伝説           宮本神酒男
 少年イエスは、大叔父のヨセフとともにブリテン島西南コーンウォールの錫鉱山にやってきて、坑夫たちに錫をどうやって抽出するか、また製錬するかといったことを教えたという伝説がある。これもまた奇妙なイエス伝説である。いくら神の子イエスとはいえ、錫の専門家のようなことができるだろうか。

叔父ヨセフはいつもイエスの導き手だった。 

 錫に関しては、イエスよりもアリマタヤのヨセフのほうが重要だった。じつはヨセフは最初に英国にやってきて錫鉱山を開発したユダヤ人の象徴だったのである。

 この地区で発掘されたフェニキア人のものと思われる石臼は、年代測定の結果紀元前1500年頃のものと判明した。フェニキア人は早くから地中海全域のあらゆるところに拠点を置き、交易をおこなってきた。錫は彼らの交易の重要なアイテムであり、その錫を掘っていたのがコンウォールの錫鉱山だったのだ。つまりアリマタヤのヨセフよりも1500年も前にフェニキア人たちがやってきていたのだ。エルサレムのソロモン神殿の建設にもコンウォールの錫が使われたという。また紀元前5世紀には、歴史家のヘロドトスは英国を「錫の島」と呼んでいる。

 フェニキア人はユダヤ人か、という微妙な問題はもちろん存在する。フェニキア語はカナン語の一種だという。カナンの地はユダヤ人にとって約束の地ではあったが、それはもともと住んでいた人々はユダヤ人ではない、ということでもある。とはいえフェニキア人は混成民族といった側面があり、フェニキア人の交易にはユダヤ人がおおいに関係していた。また錫鉱山の坑夫たちはユダヤ人だったかもしれない。

 彼らの歌が伝わっている。

「ヨセフは錫の男。ヨセフは錫の交易をやっている」

 またコンウォールの古い精錬所は「ユダヤ人の家」と呼ばれているのだ。はるか古代から錫交易がさかんであり、大量のユダヤ人がコンウォールに入植したことをこれらは物語っているのではなかろうか。アリマタヤのヨセフは彼らユダヤ人を象徴する名前だったのである。

チャリス・ウェル(聖杯の井戸)の蓋。イエスが来たコンウォールは神話的雰囲気が残る。

 古い伝承によれば、ヨセフとイエスが乗った船は嵐に巻き込まれて損傷を受け、コンウォール地方プレース・マノール近くの岬に漂着した。船が修繕される間に彼らは小さな教会を建てた。これがのちにセント・アンソニー・イン・ローズランドのプレース・マノール教会に発展したという。あくまで伝承だが、英国の、というよりも世界でもっとも早くできた教会のひとつということになる。

 伝説によれば、アリマタヤのヨセフは、使徒フィリポの命を受け、自身の息子ヨセフスを含むキリストの十二使徒やイエスの母マリアとともにグラストンベリーにふたたびやってきた。その役目はブリテン島にキリスト教を布教することだった。

ヨセフとイエスが来た地に教会が建てられた。 

 ときの王アルヴィレーガス王は1900エーカーの広大な土地をヨセフと彼の従者たちに分け与えたという。この地域の島のような土地がのちアヴァロンと呼ばれるようになった。彼らはその後もユダヤ人難民と称されていた。

 キリスト教伝来に関してはさまざまな説がある。聖パトリックがグラストンベリーを訪れたという西暦433年が、キリスト教伝来にもっとも近い年代だといえるだろう。聖パトリックはここに来る前、47年間アイルランドで布教をし、39年間グラストンベリーで僧院長をつとめ、西暦472年に111歳で亡くなった。この長寿は聖パトリックが神話的存在にすぎないことを示しているかもしれない。しかしこの有名な聖者の存在そのものがケルトのドルイド教の抵抗とそれを征服していったキリスト教の勝利を物語っているのである。

 

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⇒ 補:コルブリン・バイブル