仏教のセラピー、あるいはヴィパッサナー              宮本神酒男

 上述のように、アレクサンドリア郊外に隠棲していたテラペウタイ派(Therapeutae)と英語のセラピー(therapy)は同源であり、治療や治癒と関係した言葉である。仏教の治療といえば、仏僧を兼ねている場合が多いチベットのアムチと呼ばれる民間治療師が私の頭に浮かぶ。アムチは漢方に匹敵する厖大なチベット伝統薬の知識を頭に入れるだけでなく、カルマによって引き起こされる病気なども診なければならないので、西洋医学の医者とは違った意味でたいへんである。

 しかしテラペウタイ派が治療と関係するなら、それは実践的な医療というよりもスピリチュアルなものにちがいない。仏教のセラピーは、まず心のセラピーなのである。上座部仏教(テーラワーダ)の立場から、ゴエンカ系(瞑想法を欧米に広めたミャンマー出身のS・N・ゴエンカの系統)に属するポール・R・フライシュマン博士が、ヴィパッサナー瞑想(観行瞑想)によるセラピー的な働きについてつぎのように説明している。(『カルマとカオス』1999

 ヴィパッサナー瞑想には、潜在的にセラピー的な働きがあります。
 たとえば、(ヴィパッサナー瞑想をおこなうことによって)自己知識が増大します。人にたいする信頼や仲間意識が深まります。過去のことが統合され、受容できるようになります。意志を深め、活性化します。自分自身の運命にたいし、責任が持てるようになります。集中力を高めることができます。モラルに関することにも、より関与することができます。生活スタイルを堅固たるものにするとともに、柔軟さもなくさないようにします。修練に励みます。感覚や想像力にも流動性があるようにします。
 共同体の歴史や現在の状況についてもよく把握するようになります。避けられない現実、たとえば時間、変化、死、喪失、痛みなどにたいする心の準備を怠りません。恐怖、不安、幻覚にも悩まされることがなくなります。身体と心は完全に統合されます。自己に酔うこともなくなるでしょう。強い性格を得ることができれば、寛容になり、慈しみ、人間愛にあふれた人間になることができるでしょう。

 こうしてヴィパッサナー瞑想法のセラピー的な「効果」を列挙すると、いいことずくめなのだが、もちろんそれを実践してある程度の高みに達するのは容易ではない。テラペウタイは実際に仏教のヴィパッサナーのような瞑想法を実践していたのだろうか。大なり小なりこのような瞑想生活を送っていたのではなかろうか。もしそうであるなら、テラペウタイ派と似ていたエッセネ派もこの方法を取り入れていたかもしれない。仏教は、直接的ではないにせよ、テラペウタイ派、エッセネ派、そしてキリスト教と源をおなじくしている可能性があるだろう。


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