トマスの歌
ケララ州のトマス派キリスト教徒にあいだには、聖トマスが来た1世紀から口承で伝えられてきた歌がいくつか存在する。トマ・パルヴァム(トマスの歌)はそのうちのひとつだ。聖トマスによって任命された初代司教の後裔であるトマス・ラムバーンが、1601年にはじめて書き留めたのだという。
トマスの歌
私は歌おう。
どのような道をたどって聖なる教えがマランカラにもたらされたかを。
使徒トマスは、商人ハバンとともにマリアンカラに上陸した。
そこで奇跡を起こし、8か月の間にイエス・キリストの教会を創設した。
そしてマイレプラム(マドラス)へ行った。
そこでトマスは4か月半の間、福音を説いた。
そして船に乗って中国へ向かった。
トマスは4か月半の間中国に滞在し、マイレプラムに戻ってきた。
およそ1か月の滞在中、
ティルヴァンチクラムの王(ラジャ)の義理の息子がトマスのもとにやってきて
マラバルに戻るよう請うた。
彼らは船に乗ってマリアンカラに着いた。
使徒はそこで6か月以内に
ラジャ、その家族、40人のユダヤ人、400人の人々を改宗させた。
トマスは人々に教えを説き、十字架をかかげる教会を建て、司祭を任命した。
最初に任命したひとりはラジャの義理の息子で、名をケパと言った。
ケパとともにトマスはキロンへ行き、
十字架を打ち立て、2400人に洗礼を施した。
キロンから彼らは山中のチャヤルへ向かった。
キロンにはまる一年滞在し、2800人に洗礼を施した。
トリパレスワラムの支配者の要望により、トマスはその村へ行った。
ところが人々が十字架を汚しているのを見て、その土地を呪った。
しかしそれでもトマスは2か月間そこに滞在した。
彼はもう一度十字架を建て、人々に教えを説いた。
それゆえトマスはふたたび異教の地へ赴く必要がなくなった。
トマスという男を司祭に任命した。
信仰心のあるリーダーである。
2か月の間、トマスはトリパレスワラムに滞在した。
彼はすべてのキリスト教徒の信仰心を強め、200人の異教徒を転向させた。
そこから遠くない南方の地に
彼はニラナムの教会を建てた。
彼はそこで生まれたトマス・マリエカルを司祭に任命した。
それからコッカマンガラムへ行き、1年間滞在した。
そこで彼は1500人を転向させ、十字架を建てた。
また人々に神への崇拝の仕方を教えた。
トマスはまたコッタカヴ・パルルへ行き、1年滞在し、2200人を転向させた。
そこから彼は南のルートをとり、マリアンカラに戻ると
驚くべきことにキリスト教徒の共同体が花開いていた。
そこへの滞在は2週間にとどめ、北方のパラユルへ行った。
そこに1か月滞在し、1280人に洗礼を施し、十字架を建てた。
その年(西暦59年)の終わり、トマスはマイレプラムに戻った。
彼はもう一度マラバルに戻った。
旅の間トマスは天使に守られた。
彼は2か月間マレアットゥルに滞在し、220人を転向させた。
ニラナムには1年滞在し、人々の信仰心と彼らの送った人生に満足した。
彼らは聖蹟を得ていなかったので、トマス自身が人々に聖餐を与えた。
そしてトマスは人々に別れを告げ、タミルの地へと旅立った。
トマス・ラバンとラジャの義理の息子ケパはしばらく先まで見送った。
われらの聖者がどれほど多くの奇跡を起こしたか、述べることはできない。
トマスは29人の死者を蘇らせた。
悪魔に取りつかれた250人を救った。
330人のらい病患者を癒した。
250人の盲目の人の視力を戻した。
120人の足萎えを歩けるようにした。
20人の聾唖者の聴力を戻した。
医者に見捨てられた280人の病人の病を治した。
トマスによって17490人のバラモン、350人のヴァイシャと農民、
4289人のシュードラがキリスト教徒に転向した。
彼は2人の司教、7人の司祭を任命した。
そのうち4人はラバンと呼ばれた。
また21人の助祭を任命した。
*「トマスの歌」は1892年、バルゲス・パラユルによって作られ、1916年にトラバンコールのベルナール神父によって出版されたという。(イシュワル・シャラン)
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