イエスの軟膏 

 イエスが磔刑を生きのびた証拠として、アフマドは奇妙な証拠をあげる。それは何百という書物に記されたマラム・イ・イサ(Marham-i-Isa)、すなわちイエスの軟膏である。キリスト教徒だけでなく、マギ(ゾロアスター教徒)、ユダヤ人、イスラム教徒らが書きしるしてきた。イエスの軟膏はイエスが人を治療するときに使った軟膏であり、また自らの傷を治すのにも使ったのである。

十字架にかけられると、もし命を落とさなかったとしても、たいへんな深手を負ってしまうだろう。イエスがそんな負傷をおいながらも死ななかったというのは、手当に使った薬がよかったということになる。奇跡的な薬効をもった軟膏が存在したにちがいない、というわけだ。それほど強力な証拠とは言い難いが(イエスの名を使った便乗商法と考えたほうがいいような気がする)目の付けどころは面白いかもしれない。

 アフマドは34の「イエスの軟膏」に触れた文書を列挙する。

○「カヌン」(Qanun)ブ・アリ・シナのシャイフ・ウッ・ライス著。

○「シャラー・カヌン」(Sharah anun)アッラマ・クトゥブ・ディン・シラジ著。

○「カミル・ウス・サナート」(Kamil-us Sanaat)アル・マジョーシ著

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 こういった調子でアフマドは34の名前を挙げているのだが、すべての著者、書名になじみがないので、これ以降は省略させていただく。

 軟膏の内容は正確なことはわからないが、主成分は没薬(もつやく)ではないかという。没薬(ミルラ)といえば聖書ではおなじみのアイテムである。香として用いられたが、殺菌効果、鎮痛効果もあったという。

「創世記」第43章11節には父イスラエルが子らに国の名産である「乳香、蜜、香料、もつやく、ふすだしう、あめんどう」を贈り物としなさいとアドバイスする場面がある。この香料(英訳はgum)は香木から採った樹液だろう。新約聖書の「ヨハネ伝」19章40節の香料はスパイスである。またその前の節(39節)の沈香はアロエのことだ。「医者いらず」と呼ばれたアロエも軟膏に使われたことだろう。また、ふすだしうはピスタチオ、あめんどうはアーモンドのことだ。最近の聖書の訳がどうなっているのかよくわからないが、われわれになじみのある言葉に訳すべきだろう。

 アフマドによれば、イスラム教の支配者たちは医薬、とりわけギリシアの医薬を保護するのに執心だったという。彼らはギリシアの本をアラビア語に翻訳させただけでなく、インドからパンディト(大学者)を呼んだ。これらの本のなかでもギリシア語やラテン語で書かれたもののなかに「イエスの軟膏」に言及する記述が少なくなかったという。

 アフマドは一例をあげる。中世イスラムにおいて、医薬だけでなく科学や哲学に造詣が深かったタビト・ビン・クッラーやフナイン・ビン・イシャクは、『カラバディン』という医薬書を翻訳した。この書のなかにマラム・イ・イサ(イエスの軟膏)の言及があるという。ギリシア語の用語がそのまま出てくることから、この医薬書がもともとギリシアの医薬書であったことがわかるのである。

 イエスが十字架にかけられても死ななかった証拠のひとつとして、アフマドはイエスの軟膏を挙げた。しかしそもそもイスラム教は、イエスは十字架にかけられなかったと主張している。

 彼らは彼(イエス)を殺していないし、十字架にもかけなかった。彼らが勝手にそう信じ込んでいただけなのだ。(『コーラン』4−157)

 つまりイエスはメシアであり、神の使徒なのだから、やすやすと人間の手にかかって処刑されるはずはない、と主張しているのだ。いや、人類の罪を背負って殺され、罪をあがなうのだから、磔刑にならなければ意味がないではないかとキリスト教徒なら反論するだろう。しかしイエスを神の子と認めず、使徒のひとりだとするイスラム教の立場からすれば、庶民が神聖なる存在を殺すことはできないのである。そして『コーラン』はこう説明する。

 神自らが神のもとへ彼(イエス)を引き上げた。

 しかし神がイエスをいつ引き上げたのか、明示されなかった。このようにイエスは十字架上では死ななかった、あるいは十字架にかけられることもなかった。十字架にかけられたとしても、それで負った傷はイエスの軟膏によって治された。

 磔刑を生き延びたとすると、イエスはその後どこへ行ったのだろうか。



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