失われたイスラエルの10支族
ダビデ王(BC1040?−970?)がイスラエルを統一したとき、北に10部族、南に2部族、計12の部族があったという。しかし紀元前722年頃シャルマネセル5世のアッシリアが北王国(イスラエル)の首都サマリアに侵攻し、北王国を構成していた10部族の一部の人々(全体の5分の1ほどと考えられる)が捕囚となり、アッシリアに連行された。南王国(ユダ)はそのまま残り、彼らは10部族を失われた部族(支族)と呼ぶようになった。3万人ものイスラエル人が捕らわれ、のち中央アジアに追放されたとされることから、さまざまな「失われた10支族」伝説が生まれることになったのである。この10支族とは、レビン、シメオン、イッサカル、ゼブルン、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、エフライム、マナセの10の部族のことである。
なお新バビロニア(カルデア)王国がユダを攻めて多数の捕虜を取ったいわゆるバビロン捕囚は紀元前586年のことだ。この時代になると情報量が一挙に増える。ユダヤ人としてのアイデンティティーが確立され、ユダヤ教の基礎がかたまったのはこの時代と考えられる。占星術などもこのときカルデアから導入された。
2700年前のことがどのくらいわかるだろうか。たとえばわれわれの先祖はどこにいただろうか。もっとも、遺伝子レベルでいえば自分ひとりの先祖は何兆人もいるだろうから(千年前で2億人くらい)何兆人分の故郷があるということになるのだが。
そんな昔にどれだけのユダヤ人が現在のイラン、アフガニスタンに行ったかなんて、わかりようはずがない。しかしこの現代においてもイランに多数のユダヤ人が住んでいる。私はイラン系イスラエル人の二十代の女性に会ったことがあるけれど(親の代に移民してきたという)イラン国内に2万人以上のユダヤ人がいる。彼らがいつイランに来たかはわからないが、2700年前までさかのぼるということはないだろう。
多くの歴史書や年代記から、アフガニスタンにもユダヤ人の子孫が存在するとアフマドは指摘する。
[補記]
ごく最近(2012年12月25日の記事)インド東部のブネイ・メナシェの人々50人が移住のためにイスラエルにやってきたという記事が目にとまったので、ここで一応触れておきたい。彼らはミャンマー国境に近いミゾラム州とマニプール州に分布するチベット・ビルマ語族の民族である。言語学的にも、民族学的にも、私が取材したことのあるチン族ときわめて近い。そんな彼らだが、イスラエルの「失われた10支族」のひとつマナセの末裔だと主張している。
彼らは19世紀頃からキリスト教に改宗していたが(インド東部やミャンマーの少数民族の大半はキリスト教徒だ)50年ほど前に部族長がイスラエルに帰還する夢を見て以来、多くの者がユダヤ教を信仰するようになったという。7200人のブネイ・メナシェがイスラエル帰還を望んでいるが、いままではインド政府の反対により、実現しなかった。今回の50人を先陣として、今後帰還者がつづくことになるのかもしれない。
しかし2700年前に行方のわからなくなった部族の後裔が突然モンゴロイドの部族として現れるというのは、どう考えたって無理があるだろう。「失われた10支族」がまるでみな遠くへ(なかには日本まで)移動したかのように主張する人々がいるが、普通に考えれば中東のどこかにいたはずである。このムーブメントの背景には政治的な思惑が隠れているようである。
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