アフガニスタンのユダヤ人の末裔
ジェイムス・ブライスの『地理学百科』(1856)によると、アフガン人の祖先はサウル王(紀元前10世紀)にさかのぼるという。またアレクサンダー・バーンズによると、アフガン人の祖先はバブル王のとき、カブール北西のガウルに定住させられた。紀元622年までユダヤ教を信仰していたが、ハリド・ビン・ワリドが地元の首領の娘と結婚したときにイスラムに改宗したという。このように捕囚となったあと中央アジアに強制移住させられたらしい伝承がかすかに残っていた。しかしひとたびイスラム教に改宗すると、元ユダヤ人であったことを示す証拠はほとんど消滅してしまう。
12世紀、スペインのトレドのラビ、ビン・ヤミンは失われた10支族を求めて旅に出た。彼が主張するところによると、ユダヤ人は中国、イラン、チベットなどに定住したという。
ハザラ地区の山岳民族アライ族は自分たちのことをバニ・イスラエルと称しているという。先祖は失われた10部族のうちのヨセフの部族である。パシュトゥン人は彼らをユスフザイ、すなわちヨセフ(ユスフ)の息子と呼んでいる。
またやはり山岳民族のカラ・ダカ(現在のトルガル)地区の人々もイスラエルから来たと主張している。失われた10部族かどうかはともかく、イスラエルから移住してきたという伝説を疑う根拠はないだろう。
チャラスとカブールの間に住む人々もイスラエルから来たと主張しているという。
マレソン大佐編集の『アフガニスタンの歴史』(1878)によれば、ヘラトのアブドゥラ・ハーンやフランスの旅行家ジャン修道士、ウィリアム・ジョーンズ卿らはアフガニスタンの人々がベニ・イスラエル、すなわちイスラエルの失われた10支族の末裔であると認めているという。
フェリエールの『アフガン人の歴史』(1858)によれば、ヘラトのアブドゥラ・ハーンはつぎのように主張している。すなわちマリク・タールート(サウル)には二人の子供、アフガンとジャールートがいた。このアフガンが族長である。
ヘラトのハワジャ・ニマトゥッラー著『マフザニ・アフガニ』(1018)によればアフガン人の系譜はヤコブ・イスラエルにたどることができる。ヤコブの息子たちから10支族を含む12部族が派生しているので、アフガン人はイスラエルの失われた10支族の末裔ということになる。また別の章ではタールート(サウル)にまでさかのぼることができると述べている。
グラーム・アフマド自身は、アフガン人の由来はインドのラジプート人にイスラエルの人々が融合したものではないかと推測している。
しかし言語学の発展に伴い、近年にいたってはアフガン人イスラエルの失われた10支族説は影をひそめるようになった。イスラムとユダヤの対立激化もその傾向に拍車をかけることとなった。だがそれでも、この説が永遠に消えてしまうのは惜しいことだと私は思う。
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