イエスの墓 

 ここで取り上げるイエスの墓は、最近石棺が発掘されて「イエスの墓か」と色めきたったイスラエルの考古学的遺物のことではなく、カシミール・スリナガルのローザバルのことである。

 観光名所とまではいかないが、近年旅行者が訪れることも多いこの聖者廟は本当にイエスの墓なのだろうか。

インド・カシミールのイエスの墓とされるローザバル廟。 

 ローザバルのイエスの墓について最初に言及したのはグラーム・アフマドかもしれない。だからこそ現代にいたるまでアフマディヤ派の人々がこの墓について喧伝しているのだろう。

 1887年にスリナガルに滞在したノトヴィッチは、不思議なことにイエスの墓について一言も触れていない。知らなかったのか、知っていても知らないふりをしたのか、微妙なところである。ただ言えることは、ノトヴィッチは失われた17年(イエスの13歳から30歳までの間)にインドに来たと主張したのであって、磔刑のあとにインドに来たとは主張していないのだ。一方アフマドは17年のことにはあまり興味を持っていない。ただアフマドを継ぐ論者のなかには、17年の間にインドに来てさまざまなことを学び、磔刑のあとまたやってきて長い人生をインドで送ったと説く者もいる。

ローザバル廟のイッサ(イエス)の足跡には、磔刑のときにできた傷がある。 

 アフマドは、信頼できるハディース(ムハンマドの言行録)を根拠につぎのふたつを結論づけている。

(1)イエスは長寿を全うした。つまり125歳まで生きた。

(2)イエスは世界中を旅して回ったので、「旅する預言者」と呼ばれる。

 イエスが旅をするのは、官憲に認識されて捕まり、処刑されるのを避けたからだとアフマドは考える。さすらいのイエスの姿は想像するだけでも魅力的ではないか。

 しかしこのイエスは、既述のアポロニオスと酷似している。アポロニオスもまた神話的な存在だが、このイエスはさらに輪をかけて神話的存在といえるだろう。

 


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