8章 イスラム版インドのイエス伝説(3) 宮本神酒男 

アフマディヤ派の「カシミールのイエス」
ホジャ・ナズィル・アフマド 

 前章までに述べたように、約束されたメシアを名乗ったミルザ・グラーム・アフマドは、イエスは磔刑による死を免れ、インドのカシミールにやってきて「イスラエルの失われた10支族」の後裔たちに教えを説き、125年の長寿をまっとうしてスリナガルに埋葬された、という啓示を受けた。

 アフマドはいわば異端的なイスラム運動の旗手だった。正統なイスラム教徒からは拒絶され、迫害を受けることもしばしばだった。しかしアフマド本人はみずからをまっとうなイスラム教徒とみなし、天啓を純粋なものと考えていた。

 アフマドの啓示によるイエス伝説を理論的にサポートしたのは、アフマディヤ派のなかで古典としての位置を得ているラホール(パキスタン)のホジャ・ナズィル・アフマド著『地上の天国におけるイエス』(1951 米国で出版されたのは1998)だった。

 ホジャ・ナズィル・アフマドはイスラム教、キリスト教双方に通暁したまれにみる該博な知識の持ち主だった。それに加えて彼は聖書に出てくる人物や部族の名称とカシミールの姓を比較するなど、さまざまな角度から具体的に検証を試みた。近年にいたって百花繚乱のごとくインドのイエス伝説に関する著作があらわれたが、そのもとをたどればすべてこのホジャ・ナズィル・アフマドの本にたどることができるのだ。

 彼はミルザ・グラーム・アフマドのイエスの伝説を理論的に裏付けようとしただけでなく、約束の土地やモーセの墓がカシミールにあることを「発見」した。これをトンデモ論と片づけるなかれ。カシミールにモーセの墓とされる廟があり、およそありえない話だとしても、その可能性、信憑性をつきつめていくのは知的な作業にほかならない。



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