ピタゴラスはインドで魂の不滅について学んだのか
ポール・ブラントンはあてもなくインドの町中をぶらついていた。ふと小さな書店を見つけたので中に入り、牛皮装丁の古い本をめくっていると、眼鏡をかけた老いた書店主が気を利かせて本探しを手助けしてくれた。テーマが魂の不滅、あるいは再生(metempsychosis)であることを理解してくれているようだった。そのとき店の奥から背の高い男が出てきて、ブラントンと書店主に話しかけてきた。
「お邪魔をしてすいません、あなたがたのお話が耳に入ったものですから。とても興味深いテーマだと思ったのです。あなたは何人かの古典作家の名をあげていましたね、ギリシアの哲学者やアフリカの賢人、初期のキリスト教教父らです。彼らはみな、魂はこの地上に何度も生まれ変わるという考えを述べています。しかしこの考え方がどこから来たか、あなたがたは御存じですか」
書店主らがこたえる前に男は言った。
「旧世界で古くから魂の不滅についての考えを持っていたのはインドなのです」
「へえっ、なるほど」と書店主はばかにしたような表情を浮かべる。「それじゃあ進歩した西洋の哲学は愚かなインドからもたらされたというのですね。こりゃ驚いた!」
「だってそうでしょう?」と男は落ち着いてこたえる。「アプレイウスをもう一度読んでくださいよ。そしてピタゴラスがインドに来てバラモンから何を学んだか、考えてみてください。ヨーロッパにもどったあと、ピタゴラスは魂の不滅について説き始めたんじゃないですか」
(ポール・ブラントン『秘められたインドを探して』邦題「秘められたインド」1934)
ポール・ブラントン(1898−1981)は英国生まれの作家、哲学者、神秘主義者、そしてグル。インドの精神文化、とくに聖者ラマナ・マハリシ(1879−1950)を西側に紹介した功労者である。
アプレイウス(125−180?)は『黄金のロバ』などで知られるローマ帝国の弁論作家。
ピタゴラス(BC582−BC496)はサモス島に生まれた哲学者、言わずと知れたピタゴラスの定理の数学者。また秘教的な教団の主宰者でもあった。
この男が言いたいことは、痛いほどよくわかる。時代の趨勢からか、西洋人は、西洋こそ昔から世界でもっともすぐれていて、一方インドは文化も科学も後進的だと考えていたのだ。しかし古代に目を転じれば、じつはインド文明のほうがずっと長い間、はるかに進んでいた。だから現在の尺度で昔のことを考えるのは間違っているのだ。ピタゴラスが魂の不滅について述べるとき、それが西洋で考えられたというより、インドから学んだと考えるほうが、筋が通っているだろう。
しかしピタゴラスは本当にインドへ行ったのだろうか。
ピタゴラスの生涯についてもっとも詳しく記しているのは、ネオ・プラトニズムの哲学者、カルキスのイアンブリコス(250−325)である。イアンブリコスはテュロスのポルピュリオス(234−305)の弟子だったが、ピタゴラスの伝記に関しては弟子のほうが詳しかった。ピタゴラスの時代から700年以上もたっているとはいえ、各学派はその核心部分をひそかに伝えていたので、記述内容は十分に信用できるだろう。そのイアンブリコスによれば、ピタゴラスはエジプトとバビロニアには行っているが、インドにまでは到達しなかった。
哲学者タレスからエジプトで学ぶことをすすめられたピタゴラスは、まずシドン(現在のレバノンのサイダ)へ行った。フェニキアでは、生理学者モスクスの末裔という予言者やその他地元の祭司などと会って話をした。彼はまたビブロス(レバノン)とテュロスの秘儀参入の儀礼を受けた。
フェニキアのすべての秘儀を学んだあと、それらがエジプト起源であることがわかった。まるで(フェニキアは文化的に)エジプトのコロニーであるかのようにピタゴラスには思えた。彼はエジプトへ行けば、もっと完璧に美しい、神聖なるものと出会えるはずだと考えた。
エジプトに着いたピタゴラスは、すべての神殿を頻繁に訪れ、注意深く観察し、研究に余念がなかった。こうして彼はエジプトに22年間滞在し、神殿の聖域で天文学や幾何学を学んだ。
しかしながらピタゴラスは(アケメネス朝ペルシアの皇帝)カンビュセスの軍隊によってバビロンへ連れ去られた。そこで彼はゾロアスター教のマギと会い、大きな喜びを得た。12年後、56歳になった彼はようやくサモスにもどった。
イアンブリコスの「ピタゴラス伝」を読む限り、エジプトとバビロンで手一杯であり、とうていインドへ行く時間的余裕はなさそうである。とはいえ、アレクサンドロス大王のあとヘレニズム世界が確立され、数百年たってから記されていることを考えれば、ヘレニズムの版図内にあるエジプトとバビロンが出てくるのは時代の影響と考えられなくもない。それにもしエジプトやバビロンで学び、インドへ行っていなかったとしても、この魂の不滅の考えはインド的であり、インドの影響によってできた哲学といえるかもしれない。