ドルポから来たブッダ
サイラス・スターンズ 宮本神酒男訳
7 隠棲と講義の日々
チョナン・ストゥーパの完成のあと、ドルポパは各地を旅し、先々で隠棲所に滞在し、瞑想に時間を費やした。それと同時に多くの小堂を建て、チベットの仏典を細かく吟味し、意義深い論文をたくさん著した。
この時期彼はまた、多数の浄土やタントラの神々のヴィジョンを経験した。とくに彼はカーラチャクラの源泉であるシャンバラの浄土を見ることができた。実際に幻影によって彼はシャンバラに行くことができた。
クンパンによるとドルポパはチョナンのギプク(Gyiphuk)の隠棲所にいるとき、数知れない経典を編纂したという。
このときドルポパはすでに、チベットにおける大師のひとりだという評価を得ていた。サキャ・クン家のドゥンユ・ギャルツェンからは賞賛の手紙を得たし、サキャ・ティシュリ・クンガ・ギャルツェンからは金を、三代カルマ派ランジュン・ドルジェからは金のマンダラをもらった。
ネズミの年(1336年)の秋、ドルポパはサキャ寺から講義をするよう招待された。数千人の聴衆にたいして講義をしたあと、ドルポパは哲学的な見方について論議をかわした。顕密の経典、とくにプラジュニャーパーラミター(般若波羅蜜)経をいわば証拠とし、自性の空(rang stong)と他性の空(gzhan stong)というカテゴリーをもうけて、相対的真実と絶対的真実を明確に分けた。
地・虎の年(1338年)、ドルポパはチャナン寺の伝法位を辞し、ロツァワ・ロドゥ・ペーを後任に指名した。ロドゥ・ペーはその後17年、チャナン寺伝法位にとどまった。
つづく ⇒ 8 元朝皇帝からの招待