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 バックミラーからジャスミンの花が垂れた、へっこみだらけのわれらの白いセダンを運転するのは、パイロットが好みそうなサングラスをかけた無愛想な中年のドライバーである。彼はもともと商船の船長として世界の海を航行し、普通のビルマ人が想像もできないほど世界を見ていた。

彼にとってこれがツーリスト・コースの最初の船出だった。彼はほとんど英語をしゃべらず、停車するたびに一服たばこを吸い、嘲笑するように笑う癖があった。私は彼の名を書き留めたが、いつもたんにドライバーと呼んだ。モンテ・ヘルマン監督のクラシック・ロード・ムービー『断絶』のジェームス・テーラー扮する名のない役にちなんだものだ。

 助手席でデニス・ウィルソンの役を演じていたのは、ティ・ハーである。彼自身は自分のことをライオンと呼んでいたが。

十代の頃から観光ルートを行き来していた彼は、40を越えたいまも若くはつらつとしていた。ライオンがニヤリと笑うとこちらもつられて笑いそうになった。また歩くときはびっこをひいた。変わりやすい気質の持ち主で、冗談を言って笑い飛ばしたかと思うと、不機嫌そうに黙りこくった。機嫌を悪くするのは、ドライバーが手動式変速ギアにこだわっているときだった。というのも彼はふだんライセンスをもった観光ガイドとしてではなく、ドライバーとして働いていたからだ。

彼はあふれるほどの些細なことに拘泥するたちではなかった。それはときにはフラストレーションを引き起こすだろうが、大局的には安堵をもたらすのである。多くの同年輩と同様、80年代の大規模な民主デモ以降、何年間かを刑務所で過ごすことになった。それは苦い体験というより、悲しい体験だった。ライオンはいいやつだった。

 ヤンゴンから出るとき、ビルマでもっとも聖なるパゴダ、シュエダゴン・パヤのそばを通った。その巨大なハーシーズのキッス・チョコの先端には、鐘の音が鳴りそうな尖塔が載っていて、それにはサファイア、エメラルド、ルビー、ダイアモンドがちりばめられていた。

パヤーを通り過ぎるとき、ドライバーはハンドルから両手を離し、ほんのわずかに、何か不安を与えるようなお辞儀をした。

ぞっとするような感覚が私の内部に生まれた。ダゴン・ビールの屋外看板が原因なのか、あるいは恐怖作家ラブクラフトのファンならみな感じるのか。それともビルマの女性が好み、しばしば独走的な模様がみられるタナカの木から抽出した粉でほどこした黄色いパンケーキのようなメーキャップが原因か。

突然私を神経質にさせている原因が、多国籍ブランドの不在であることがわかった。この統一感のない町は、コカコーラもVISAも、マクドナルドすらもない平行世界だったのだ。

 われわれはライス・パティばかりの地帯を通って(ライス・パティとライス・パディすなわち田んぼをかけている)マンダレーめざして北上した。途中、マザーズ・ハウス・ホテルに一泊し、ビルマのミュージック・ビデオを観た。そのなかにはチアリーダーがポンポン飛び出してくるトラクター工場への熱狂的な賛歌も含まれていた。「ゴー! ゴー! レッツゴー!」

 翌日東へ針路を変え、ひどい道を登ってインレー湖を擁する山岳地帯へ向かった。インレー湖はビルマ国内の観光客にもっとも人気のあるスポットである。

湖に到達する前、緑濃い山中の町、カローに一泊した。ここには松林とブーゲンビリアの庭と軍の訓練施設があった。

早朝、いやな夢から目が覚めて私は散歩に出た。町の中央にあるガラスがちりばめられた鐘型のパゴダが昇る朝日を浴びて光っていた。その基台を飾る4柱の11個の耳をもった神は、天界のナッ神を表わしていた。

通りを横切ると、のたうちまわるような姿のバンヤン樹があり、その洞(ほら)の祠の中に、粗野ではるかに俗的なナッ神が立っていた。

 この素朴な神像を離れ、町の南側にあるモスクを訪ねると、壁にもたれてのんびりくつろいでいるふたりの白髪交じりの人物から挨拶の声をかけられた。高校時代、こういった連中をタディと呼んでいたことを思い出した。

ひとりは背が高く、肉づきがよく、骨ばっている相棒とは対照的だった。相棒はイスラムひげを生やし、早起きの一服の長くて細い葉巻を吸っていた。ふたりとも口はキンマでホロコーストのように真っ赤だった。大きいほうは酔っぱらっていた。そして不明瞭な口ぶりで、この国がどんなにひどいか私にわからせようとしていた。

「おれたちは軍靴に踏みつけられているのだ。ドイツみたいに。そう、ゲシュタポみたいなのに」

 彼が不平をこぼすと相棒は押し黙ったままニヤリと笑い、同意を示して首を激しくたてに振った。

「あいつらはおれたちの人権を持ち去ったのさ。あんたはBBCにそのことを話すべきだ」

 そう、だから読者のみなさま、どうか一瞬でもBBCになったふりをしてください。

 インレー湖はふたつのやわらかな山脈のあいだに寝そべる、長くて豊満な水の身体(ボディ)である。それは豪華なうえに、くつろいでいる。

中心となる町ではいまも自転車やスクーターの制限をしているので、交通の便はよくない。観光のためのインフラは整いつつあり、こぎれいなイタリア・レストランもオープンしたが、それによって景色やまじめに暮らし、繁盛している地元の人々の善意を損ねることはないだろう。

湖自体は水上ガーデンや水上集落、足を使って舟をこぐ漁師などによって彩られ、ゴンドラの浮かぶベニスのように、この地域の象徴的イメージを作り出している。

ここで立ち寄るべき場所のひとつは、猫ジャンプ寺院だ。ジンジャー・ブレッド色のティーク材の寺院は腐食した赤色の柱に支えられて水に浮かんでいた。そこにはたくさんの猫が飼われていて、独善的で人を見下す気配はある僧侶たちが、猫にジャンプして輪をくぐらせるよう訓練をほどこしているのだ。(註;現在僧侶が亡くなり、猫のジャンプは中断されている)

 ライオンにはインレー湖の町にリンというよき友だちがいた。フリーのトレッキング・ガイドで、イタリア・レストランの待合テーブルにいることが多かった。

ある朝、茶の漬物やジャックフルーツのタール状菓子、ポルノ映画みたいに身ぐるみはがされた魚などであふれた市場を訪ねたあと、リンはわれわれを山に案内した。彼はしまりのないコンバースのシューズと野球帽(それは彼をできそこないのタイガー・ウッズに見せる)を誇らしげに見せた。ライオンのように、彼のユーモアもどこか悲しく、トラウマを感じさせた。

ターメリックやタバコの畑のあいだをハイキングしているとき、汚れた幼い子を連れた農民夫婦と出会った。すれ違ったあとしばらくして、リンは立ち止った。その目には涙があふれていた。彼自身貧しい村の出身で、村人に医療や避妊について教育してきたが、ビルマの田舎の貧困と無知の悪しき連鎖を断ち切るのは容易ではなかった。

 のちにわれわれはリンの家の食事に招待された。われわれは家族といっしょに食事ができるものと思っていたのだが、玄関先のロウソクだけが明かりのテーブルについたのはわれわれふたりだけだった。

すでにおなかの調子が悪く、わが腸はグルグルと鳴っていた。山の村のランチで食べたお茶の漬物がよくなかったのだろうか。しかしそれでも私は勢いよく食べ始めた。ごちゃ混ぜの、見栄えがいいとはいえないキュイジーヌは食べがいがあった。胡椒スープ、ぱりっとした青物野菜、甘酢がけ野菜煮、濃厚なエビ・カレー、そして魚のから揚げのぶった切りなどを食べた。

 食後にわれわれは家の中に招き入れられ、ナッ神の祭壇を見せてもらった。そこには大いなる山の神、マハギリが祀られていた。マハギリの祠はビルマのすべての家にあるといっても過言ではなかった。少なくとも各家でナッ神との交流が可能だった。ナッ神像の前には小さなカーテンがかかっていた。そして像は赤いネッカチーフでココナッツと結ばれていた。

カーテンの理由は、マハギリがこの世の英雄であったとき、タガウン王は彼をチャンパの木に縛りつけておき、生きたまま木ごと燃やすよう命じた。それで彼は夜、光を見たくなかったのだ。 

 私はこうした伝説を家族に話して聞かせた。それはヤンゴンの小汚い店で入手した、すりきれた安価版のマウン・ティン・アウン著『ビルマ仏教の民間的要素』から拾ったものである。私の情報はライオンをその気にさせたようで、彼はウイスキーのボトルをもってテーブルにやってくると、ナッ神について語り始めた。

彼の推計によれば、ビルマでナッ神を信じる人は3割にすぎないという。彼は7割のほうの環境のなかで育った。ビルマの多くの家庭では仏教とともにナッ神も信じるのだが、彼の両親は、仏法はそんな俗的な超常信仰と相いれないと考えていた。

この二つの信仰のあいだの軋轢は、千年前にさかのぼる。すなわちパガンの信仰篤き(あるいはそう見せかけた)11世紀のアノーヤターがテーラワーダ仏教を導入したときである。アノーヤターはナッ神が嫌いだったが、弾圧することはできなかった。そこで異教徒の植民地におけるカトリック教会のように、彼はナッ神信仰を仏教に融合させることにしたのである。

民間伝説の反乱や仏法に先立つ狂騒的な儀礼にたいし、パガンの中心となるパヤにおいて、秩序立てて、マハギリを主とする36のナッ神を確立した。アノーヤター王はそれから37番目のナッ神としてインドラ神を上に置いた。これはナッ神が仏法のもとに置かれたことを象徴的に意味するのだ。

 ビルマ人の多くは将来の運を保証してもらうためにブッダを信仰し、罰を刈り取り、災難を避けるためにナッ神を宥めるのだとライオンは説明する。この世界ではナッ神が災難を引き起こすのである。

ライオンはまた、妻と知り合ってからナッ神を信仰しはじめたと認めた。妻の母親がナッ神を深く信仰していたからである。ナッ神はしばしば夢の中で人と交信する。ライオンが寝ているときコー・ミョー・シンが夢の中に現れ、言った。

「私はあなたの家にいたい」

 翌日彼は外に出て、祠を買ってきた。彼はコー・ミョー・シンのいくつかの禁止事項を受け入れた。彼女はビーフもポークもおかまいなしで食べたが、信者には彼女とおなじ禁止事項を守ることを要求した。こうしてライオンは夢の中で宝くじの当選番号を伝達されたこともあったという。

 しかしナッ神は子供のようにわがままですねやすく、彼らをなだめるのは両刃の剣のようだった。ある日ライオンは低い塀から落ち、足を骨折した。治し方が悪かったのか、慢性の痛みが残ってしまった。

彼はすべてのことの原因はその日着ていたTシャツだと思った。それはブラック・ロッカーの上に水牛の頭が描かれていた。ライオンはこの絵がポッパー・メド―というナッ神を怒らせたのではないかと思った。彼女は水牛と黒色が大嫌いなのだ。

 インレー湖のコオロギとウシガエルの耳をつんざく大合唱がピークに達したとき、ほろ酔い加減のライオンは、かつてナッカドーになろうとしているニューハーフといっしょに住んでいたことがあると打ち明けた。

彼は友人から儀礼のナッ・ダンスを学び、それらのいくつかはとてもうまくなったという。彼は大半のナッカドーは本気ではないと主張する。彼らはたんにおめかしして、ダンスができればいいのだ。それに加えてお金がすこしもらえればなおいい。ほんの一部のナッカドーだけが本物であり、パワフルな精霊を呼び出し、発狂せずに、病気になることもなく、身体に憑依させることができるのだという。

夜が更けるにしたがい、私はナッカドーの女装についてどうしても聞きたくなった。ライオンのこたえは明快だった。

「ナッ神はニューハーフが好きなんだよ!」


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