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ヤンゴンを発つ前夜、われわれはシュエダゴン・パヤー近くのホテルに泊まったので、早朝に歩いてこの聖地に行くことができた。シュエダゴンは険しい丘の上に座し、四方の長い階段から昇ることができた。われわれは北の階段から上がったが、こちらにはエレベーターもエスカレーターもなかった。
階段を上がったところには魔女が鎮座し、守護していた。彼女は異教徒的な緑のバナナの隊伍に囲まれ、高慢ちきな醜い魚屋の女房のような雰囲気で坐っていた。だれかが彼女の肉感的な唇のあいだに火のついたタバコをさしていた。
シュエダゴンはワールド・クラスの聖地であり、ビルマの精神主義の平和なパリンプセスト(昔の様子を残す場所)である。テーラワーダ仏教の聖地なのだが、秘教的、錬金術的で、超常現象もよく知られた霊的パワーの強い場所でもある。
パヤー自体は14エーカーの敷地の中央に建っていた。そこにはパゴダ、壇、展示館、祠堂、3D壁画などがあった。寄せ集めた、乱雑な建物の配置は、時代や様式の多彩さを表わしているが、静謐さが漲っているにもかかわらず、ここが折衷主義的で都会的であるという印象を与えている。
この日の朝、パヤーは一般庶民でにぎわっていた。静かに瞑想する人からネズミの像の宗教的沐浴まで、さまざまな姿を見ることができるが、彼らの敬虔な姿勢と実践は、精神においては民主主義があることを物語っていた。
パヤーは広場の中央に鎮座していた。そのとてつもなく大きな、とがったベルの先端には金箔の傘があり、そよ風に揺れて音を奏でているようだった。巨大な本体を覆う黄金の葉は曇った空のもとでは押し黙っていた。ときおり肌をカリカリに焼く強烈な日光が差し込んできて、パヤ本体の表面を燃え上がらせた。
パヤーの静謐はゴシック形式のカテドラルの冷徹な静けさを思い起こさせた。いやむしろ中世の沈黙のインテリア性に近いだろうか。この先端が細くなった巨大建築物はにぎわいのなかにあったが、窓がなく、瞑想に適していた。私はパヤ近くの壇の上に昇り、占い師や売り子のなかにあって座し、出発のメランコリーにひたりながら瞑想した。
われわれは急いでホテルにもどり、パッキングしてチェックアウトした。ポケットのなかに残っていたチャットを数えてみた。ホテルを出てコーナーを曲がったところで籠を持った男と出くわした。籠のなかにはスズメが入っていた。残っていた500チャットでスズメを買い、それらを空に逃がしてやることにした。そうすれば功徳を積むことができるだろう。この虚無的ではあるが詩的な行いは、ほとんど価値のない紙を役立てる方法としては最善だろう。
男は2羽の鳥を私の手に置いた。するとすぐさま鳥は空へ羽ばたいていった。それから男は1羽のスズメをJの手のひらの上に置いた。鳥は魂のような形をしていた。それはそこにじっとしていて、満足げだった。ほかに行くところなどないかのようだった。しかしわれわれの出発時間が迫っていたので、Jはやさしく手を振った。するとスズメはようやく飛び立ち、光の空へ消えていった。
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