Rock Art in Chilas
チラースの岩絵 宮本神酒男

インダス川上流域のチラースには、Deva(神)と呼ばれる地域がある。ここのいかにも神が降臨しそうな「祭壇岩(Altar Rock)」の岩の表面は、特殊な皮膜のようにツヤと弾力性があり、生き物のようだ。数千年にわたって、ソグド人やダルド人、サカ人、フン族などさまざまなひとびとがここにやってきてはその上になにかを刻んでいった。

チラースの西3キロ地点のインダス川沿いの岩絵サイト。巨大な「聖なる岩」に、おびただしい絵や文字が描かれている。この岩の絵には仏教的要素が多く見出されるが、われわれの知る仏僧やストゥーパとはかなり異なっている。

以前、ネパール・ヒマラヤの秘境ムスタンへの入り口、カグベニ村の近くの登山路上で岩絵(絵というより記号に近いが)をこまめに見ていたときのこと。ほとんどのトレッカーが考古学的に重要なものが足元にあることに気づかず、その上を踏み越えていた。たまに岩絵があることを知らせても、彼らが興味を示すことはほとんどなかった。取り囲む美しい大自然と比べれば些細な、価値の低いものだったのかもしれないが、ガイドブックに書かれていないということが無関心の原因のひとつではないかと私は考えた。

 パキスタン北部、インダス川上流のチラースの岩絵に関してもおなじことがいえる。私もかつてラワルピンディからギルギットまでバスに乗ったことがあるけれど、やはり道中に岩絵のエリアがあることに気づかなかったし、そもそも興味もなかった。

 しかしひとたびその重要性を知ってこの地に降り立つと、何の変哲もない場所に突然ワンダーワールドが出現するのである。岩絵というものは、大概、描かれた時代がはっきりしないし、その内容、意味も明確でなく、絵もワンパターンであることが多い。

チラースの岩絵は、しかし、まったく違う。その分布は広大で、数も多く、種類もさまざま、時代も何千年にもわたっている。岸辺に打ち寄せる波のようにさまざまなひとびとがやって来て、さまざまな理由で描いていったのである。

壁の落書きのようにイタズラ心で描いたのだろうと考えがちだが、岩の下に残る小石の破片などから、儀礼祭祀が行われたのだと多くの学者はみなしている。気鋭の考古学者デーヴィッド・ルイス=ウィリアムスが述べるように、古代において壁画(ルイス=ウィリアムスの場合は洞窟画)を描くという行為には、シャーマン的な儀礼が伴っていたにちがいない。「祭壇岩」そのものが神の顕現なのであり、人間と神の仲立ちにシャーマンは欠かせない存在なのである。

 いま不用意に「描く」という語を用いたが、チラースの岩絵に関して言えば、正確には「つつく」である。鑿(ノミ)で石や金属の上を叩くように、先の尖った石で岩の表面をつつくのだ。英語でいえばpaintではなくpeckである。もっとも、英語では通常、engravecarve、つまり「彫る」という意味の語を用いるのだが。

この方法はパキスタン北部だけでなく、ラダック、ザンスカール、西チベット、新疆などにも見られ、描き手がある特定の民族(有力候補はサカ人、すなわちインド・ヨーロッパ語族のスキタイ人)であることを示すのかもしれない。あるいは民族や地域の垣根を越えて広まった文化なのかもしれない。

たしかに言えるのは、気まぐれで落書きをするのではないということだ。丹念に、こつこつと、何日もかけて刻んでいかなければならない。場合によっては落下の危険をはらんだ岩上にしがみついて仕事をしなければならない。こうして刻んだ岩絵や文字は、長い年月の風雪、浸食に耐え、今日まで生き延びることができた。

岩絵を放射性炭素年代測定法で測定するのは困難なので、その描かれた内容や彫り方などをもとに時代を推測するしか方法はない。パキスタンの考古学者ダーニー博士は四つに区分する。もっとも古いグループDは狩人のハンティングの様子や動物が描かれたもの。紀元前二千年期から六千年期、つまり八千年前まで遡れるかもしれないという。グループCは、遊牧民が主体で、半神や牧畜、社会生活が好んで描かれる。紀元前二千年期から紀元前千年期と考えられる。グループBはクシャン王朝以前のスキタイ人の時期で、ストゥーパや擬人動物が描かれている。グループAは紀元千年期から近代までの比較的新しい岩絵。ストゥーパ、寺院、円や方形などの図形、ファラス(男根)や騎馬人などが好まれる。

 もちろんこうした時代区分は大雑把なものにすぎず、根本的に間違っている場合もあるかもしれない。私が惹かれるのは、神とも悪魔とも、はたまた宇宙人と見えなくもない人物像である。古代人が目に見えるものだけを描いたのだとわれわれは決めつけるわけにはいかないのである。

左は、ストゥーパと僧侶。右は巡礼者。描かれた当時から岩の壁面に割れ目が入り、ストゥーパに見立てられていたのだろうか。ストゥーパはクシャーナ王朝期の初期の様式であり、僧侶の服装もわれわれにはなじみが薄い。

巨岩の扇形の面にぎっしりと絵が描かれている。画面には写っていないが、薄れて判別の難しい仏陀の像は前1世紀に刻まれたと考えられ、世界最古のブッダの岩刻画である。下の三枚の画のうち、中央は仏教徒ヴァスデーヴァとバララマが崇拝する神だという。右は救世主か神だろう。左はよくわからない。

左はおそらく二人が戦っている様子。右はアイベックス(大きな角をもった山岳地帯に生息するヤギの一種)か。動物でさえ性別が明示されているのは興味深い。浮き上がって見えるが、彫ったもの。両者とも紀元前だろう。

左上はアイベックスらしき動物と狩人。右上は犬だろうか。左下は角の生えた馬のような神話上の動物。上の二枚は先史時代。下の二枚はパルティア様式の動物画。下右は獲物を食べているライオンだろうか。

チラースやフンザには太陽紋(sun disk)と呼ばれる不思議な図形がたくさん描かれている。太陽崇拝か、あるいはそれそのものが神霊や魂の象徴なのか。しかし私はメキシコ・ウイチョル族のニエリカと似ている点に強く惹かれる。別の次元への入り口なのではなかろうか。

左はなにかを描いたというより、記号に見える。神聖なものを表徴しているのだが、それがなにかはわからない。太陽と蛇か。右はピラミッド型の石そのものが神の顕現であると考えられたのだろう。神の宿る家、あるいはストゥーパなのだろうか。

時代が下るにつれストゥーパは巨大化する。これらはクシャーナ王朝期よりもあとになるだろう。右のように仏像もこまかい装飾が施されるようになる。

鹿野苑で法を説く釈迦。釈迦の右には古代に描かれた人の姿が残っている。衣文はスワートの大仏とそっくり。この絵も7世紀頃だろうか。(「ガンダーラからチベットへ」参照)

大きな祭壇岩に仏像やストゥーパ、本生譚(ジャータカ)が描かれ、立体曼荼羅のごとき観がある。下三枚はそのなかの仏像。中央は観音だろう。岩の下部右にはジャータカらしき場面があるが、摩滅して内容は不明。オーレル・スタインが発見した「捨身飼虎本生譚」と同一かどうかはわからない。

さまざまなストゥーパをピックアップして並べてみた。単純なもののほうが古いとはいえない。クシャーナ王朝期の頃からストゥーパ崇拝はさかんになった。このなかで下右端のモスクのようなストゥーパがもっとも古い形式といえるだろう。

左と中央はパルティア期の兵士。右も同時期、すなわち1世紀頃のパルティア人(ペルシア人)だろう。このエリアまでペルシア文化圏に入っていたことを物語っていて興味深い。

神か、宇宙人か

カローシュティー文字の刻文から、戦いに敗れたアクシャ王の子ゴーパダーサがスキタイ王モアーサの前に引き出される様子が描かれていることがわかる。

なぞめいた絵はたくさんあるが、ここでは4枚ほど紹介しよう。上2枚のように、手の指が放射線状に開いている場合、ザンスカールで見たように、神か神的存在を示している場合が多い。だから左上の「こどものように小さいのに、頭は巨大で、目が黒く大きくつりあがっている」という現代人のイメージする宇宙人にあてはまるとき、本当に宇宙人が描かれていたとしも不思議ではないのだ。右下は、こどものように見えるが、頭上に飛び出たアンテナ状のものから、小サ子(童神)とも考えられる。左下は、亡霊か悪霊ではないだろうか。

→ フンザの岩絵

上の2枚はフンザの岩絵。拡大写真は「フンザの岩絵」を見てください。右はザンスカールの岩絵。地元では雨竜神とみなされているが、さほど根拠があるわけではない。

左はインド・ラダックのシェイ寺近くの岩面に彫られた有名な五仏の下に刻まれたレリーフ画。火星人に見えてしまうのだが、目の錯覚だろうか……。

→ ザンスカールの岩絵

→ ガンダーラに見る仏陀の生涯