紋面女(顔に刺青を入れた女性)の数は近年激減している


紋面女

  独龍族のマージナル性を端的にあらわしているのは、紋面(パクトゥ 刺青を入れた顔)だろう。わたしが独龍江に行こうと考えた理由のひとつは、紋面女に会いたかったからなのだ。どんづまりのような所だからこそ、われわれには理解できない未知の感覚というものがあるにちがいない。

  女が顔面に刺青を入れるのはなぜなのだろうか。わたしは海南島南部で、リー族の紋面[1]の老女を見かけたことがある。かれらは他族の男にさらわれないため醜くしたのだ、と聞いた。台湾のアユタル族にも何人かの紋面の老女が現存していて、1999年の台湾のテレビ・ニュースで健在であることを確認できた。しかしリー族、アユタル族においても、紋面の風習はおこなわれなくなって久しく、目にする機会もいたって少ない。民族的にはより近いミャンマーのチン族にはなお顔面の刺青が見られるが、それもまた女性の略奪を防ぐのが第一の目的であったと考えられる。

  

  独龍江では、「解放前まで紋面の風習があった」などと中国の資料に書かれるているが、解放前どころか、少なくとも、1970年代前半までは紋面の風習が残っていた。独龍江中上流の50才以上の女性の大半が、顔面全体に花紋の刺青をいれている。いっぽう下流域では、下顎にのみ刺青を入れていたというが、いまではほとんど見かけない。上述のフランス隊の描写は下流域のみのことだったがわかる。

 最初の調査でわたしが出会った9人の女性から、その時点での年齢(1996年当時)と刺青を入れたときの年齢をきいてみた。(人名略)

A…39(14) B…60(20)
  C…75(17) D…80(14)
  E…80(16)F…60(13)
  G…70(20) H…58(20)
 I…(13)

  刺青をいれる年齢は、通常いわれている12、3才前後よりやや上で、20才で入れた女性が3人もいるのは気になるところだが、基本的には成人儀礼的な意味合いがあると見るべきだろう。

  紋面は「美しくなるうえ、ふけて見えない」という。顔に刺青をいれて美しく見えるものだろうか、といぶかしく思ったけれど、古い写真の紋面の少女をみると、これが意外にもきれいなのだ。[2]

  しかし、漢族と結婚し、貢山県で働いている39才の紋面女性に聞くと、周囲の視線をつねに感じてしまうと、苦しい胸のうちを打ち明けた。独龍江で目立たなくても、ほかの地域では興味本位の視線にさらされてしまうだろう。老婆になれば皺のあいまに沈んで目立たなくなるが、彼女ぐらいの年齢だとくっきりと浮かび上がって見えるのだ。

  また、上述のリー族の場合と同様、察瓦龍土司やリス族の奴隷商人にさらわれて奴隷にされないため、あえて顔を醜くしたのだという説もある。

  チベット人(察瓦龍土司)の支配下にあるとき、活仏が占いをしたところ、紋面をすべし、と出たという話もある。

   紋面はいつごろはじまったのだろうか。上述のごとく、史書に紋面濮や綉面部落といった名称が現われ起源の古さを思わせるが、いっぽうで三百年前にヌー族から教わったという伝説もある。当時、ヌー族の女はみな紋面をしていたという。以後、察瓦龍土司は他地域と区別するため紋面を奨励した。ミャンマー側の独龍族に紋面が見られないことからすると、土司の役割は無視できない。

  だが清朝末期になると、巡視官として独龍江を訪れた麗江知府秘書長・夏瑚は、紋面を入れた者はその皮をはぎ、彫った者はその腕を落とすとし、厳しく禁じようとした。国民党政府もまた厳しい罰則を定めた。しかし察瓦龍土司は、紋面をしなければ漢人にさらわれるとして、紋面を継続させたのである。(この場合、紋面は羊の烙印のような役目をもつ)

  刺青を彫るのはたいてい女だ。いくつかの村にひとりの割合しかいなかったというから、一種の特殊技能者だったのだろう。しかしプロというわけではなく、(パン)や酒などの謝礼しか受け取らなかった。女は青草汁と鍋墨を混ぜたものに、三、四本束ねた灌木の刺を浸して、顔を仰向けにした少女の顔面のやわ肌に、紋様を刻んでいく。数日後、青黒い花紋が浮かび上がってくる。デザインは複数の種類があるように思われるが、確認できない。

[1] 始祖(犬祖)神話でも紋面は重要な役割を演じる。君主の傷を治した犬は、約束通り公主を嫁にもらうが、夫婦とも海に流され、海南島に漂着する。生まれた男の子は成長して狩りに出たとき、猟犬(つまり父)を殺してしまう。母は息子を非難し、立ち去るが、紋面をして別人になりすまし、戻ってきて息子と結婚する。父親殺し、母子相姦という驚くべきモティーフはさておき、ここでは紋面=仮面の象徴性に注目。紋面を施せば、異なった存在にメタモルフォーゼしたことになるのだ。

[2] パラグァイのアビポン族の女性は顔、胸、腕などにいれずみをいれて「美そのものよりも美しく」していたという。(レヴィ=ストロース『構造人類学』)


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