滅びる魂、永遠に生きる魂
独龍族を特異な民族たらしめているのは、その霊魂観だろう。
ひとは九つの魂(プラ。チベット語のラblaのbは発音されないが、古代音はブラだったと思われる)をもつという。九つというのは、厳密な数ではなく、 「たくさん」といった意味合いかもしれない。道教では三魂七魄と言ってきたし、ジノー族は男九魂女七魂、タイ族に至っては三二の大魂、九二の小魂を認める。身体の各部所に魂が存在するのだ。中国内の多くの民族が魂は三つとみなすが、九つというのは格別多いわけではない。
これらのうちひとつでも身体から離れると、ひとは調子が悪くなり、いくつも離れると、重い病気になる。離脱した魂を取り戻すのは、シャーマンの重要な役目のひとつである。
ひとが死ぬと、九つの魂はアシという霊魂になる。アシはアシムリという霊魂世界のような所にしばらくとどまり、それから蝶[1]に変身してこの世に戻ってくる。色あざやかな蝶は女のアシが、単色の蝶は男のアシが変身したものだ。蝶はいずれ死ぬだろう。そしてふたたび蘇らない。つまり、魂もまた永遠に復活しないのだ。[2]
この「魂の永遠の死滅」というのは、きわめてまれな観念ではないだろうか。近隣の多くの民族が信じる「魂の永遠の棲み処」といった概念もまたない。たとえばナシ族は、肉体が滅びたのち、魂は祖先の霊魂が生前と変らぬ生活を永久に営める世界へ行く。だが独龍族の魂は死滅し、復活することはない。輪廻思想はなく、「永遠回帰」という発想もないのだ。
いわば魂の依り代。
独龍江で調査をしたとき、この蝶にたとえた死生観以上のものをみいだすことはできなかったのだが、のちミャンマー側で私は独龍族、すなわちラワン族(Rvwang)に送魂路があることを発見した。魂は死滅せず、祖先の住む楽園のような場所に住むことになる。送魂路は、葬送儀礼のなかで、あたらしい亡魂が祖先の来た道を遡上していく道である。残念ながら各地名を現在の地名に比定するのはきわめて困難だが、ジンポー族の送魂路と近いと考えられ、そうすると青海省・甘粛省あたりが民族発祥の地の有力候補となるだろう。伝わる送魂路には三通りある。
送魂路1
1 Pvngrvng Yanwen → 2 Cvngma Plaram → 3 Vluuram → 4 Pvnggotnoy dvm → 5 Svlay
Nay Dvm → 6 Natchang Dang Mvkup → 7 Cvngma Laqrang → 8
Svngteng Longgang → 9 Nasa Longwen → 10 Vsi Nvngdor → 11
Vsimong, Dvnglon Mong
送魂路2
1 Vshi Gondon → 2 NvmbOng Mvrp → 3
Latdu Mvre → 4 Mvqwheq Mvre → 5 Mvtom Mvtaq
Mvre → 6 Busvng Mvre → 7 Zimvtyang Mvre → 8
Poqgvm Mvre → 9 Ngapvngyang Mvre → 10 Gvdoqyang Mvre → 11
Vm-aq Vlin Mvre → 12 Mvday Dungchet → 13
Mvday Mvre → 14 Nvmsvla Kurbu Mong → 15 Do Domlong Mong →
16 Zupvng Mong Tvra → 17 Likpan Mong →……Vshi Mong
送魂路3
1 Long Bvngka → 2 Dvgo Gungre → 3 Vshi
Ringtung → 4 Mata Mvring →5 Vshom Tvra Tuq →
6 Dongya Shigung →……Vshi Mong
最終地点のアシモン(Vshi Mong)は独龍江・独龍族のアシモリと同一であり、亡魂(アシ)の地域(モン)、すなわち冥界(地獄ではない)である。そこに至る前には、頂上の平らな大きな高山があるという。魂はそこから異次元の天界へ飛翔するのだ。後述するクレン(シャーマン)の描く天界がアシモン(アシモリ)と同一であるかどうかわからないが、そこでは祖先とともに永遠の悦楽を享受することができそうである。
独龍族の猟師。深い森は動物だけでなく精霊がたくさん。
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