精霊の世界


崖鬼

  独龍江地方(トゥルン・ムリ)は、左右から山塊で挟みこんだような、深い峡谷である。鬱蒼とした森に覆われ、耕地面積はいたって少ない。このような場所にこそ、豊かな精霊のパンテオンが構築されるものなのかもしれない。

  独龍族はもともと、狩猟を生業とすることが多く、森のなかで過ごす時間が長かった。彼らの怖れる精霊 (プラン)が、崖や洞窟の霊であるのは、そのことと無関係ではないだろう。

  彼らがとくに怖れたのがジプランとレムターだ。

  ジプランは崖や洞穴に棲む悪鬼。ひとが突然激痛に襲われて気絶したり、急病で死に至ったりするのは、ジプランのしわざだといわれる。伝説によれば、ジプランは狩人が変じた鬼だという。

  昔、盛大な祭りが終わる日、肉を平等に分割するしきたりなのに、五人の男だけが、分け前から漏れてしまった。そこで彼らは、うっぷん晴らしに山に入って狩りをすることにした。作戦はこうである。一人は犬を連れて崖をよじのぼり、獲物を追いつめる。他の四人は分れて崖の下で獲物を待ちかまえる。作戦を実行に移して間もなく、崖の上で犬が吠え立てたので、野ろばを追いつめているように思われた。ところが半日たっても、野ろばはおりて来ない。それで四人が崖の上にのぼると、今度は下から犬の吠え声が聞える。で、下におりると、犬も男も野ろばも見えない。仕方なく彼らは家に戻り、翌日数人の狩人がくわわって、もう一度山に入った。彼らが崖の上にたどりついたとき、突如として天空かき曇り、暴風雨が吹き荒れ、雷が鳴り響いた。そして崖のなかからひとの声が聞えた。

「おまえら、おれが見えるかい」
  崖の上の草が揺れているだけで、ひとの姿はみえない。
「おまえら、おれが見えるかい」
「いったい誰だ? 姿なんか見えないぞ!」
「おれは、崖鬼、ジプランだ。ひとが変じたのだ。いま、おまえらにおれは見えない。これからは、おまえらが病気になったら、粟と酒を、おまえらの食うものなんでもよい、もってくるんだ」

  こうして、病や災害が起きたとき、豚や鶏をいけにえとして殺し、酒を捧げてジプランをなだめるようになったのである。

  レムターは森と野獣の守護神。伝説によれば、レムターもまたひとが変じたものだという。


  昔、独龍江に兄弟がいた。彼らは山に狩りに行き、崖の上をよじのぼる岩羊を見つけた。が、岩羊はぴょんと跳びはねてどこかへ消えてしまった。弟は深追いはしないほうがいいと忠告したが、兄は犬をつれて崖をのぼっていった。しばらくして犬の吠え立てる声がしたので、弟は崖をのぼったが、犬も兄も姿が見えない。すると突然天が暗くなり、崖の背後から顔の半分が黒、もう半分が緑の怪物が現れたのである。

「おれが見えるかい」
「見えるよ!」
「おれはおまえの兄だが、レムターになってしまったのだ。いっしょに家には帰れない。おまえひとりで戻るのだ。来年またここに狩りに来るなら、おまえにたくさん獲物がとれるようにしてやろう」
  それからしばらくして、この怪物は家にやってきた。が、下半身はほとんど石と化していた。家人が何を出しても怪物は食べなかったが、焼酎が出されると飲み干し、走り去った。翌年、弟は狩りに行き、獲物をたくさん仕留めることができた。それ以来、人々は山に狩りに行く前、レムターを祀るようになったのだという。


  ジプランやレムターなどの崖鬼は、チベット人のツェン(btsan)とよく似ている。ツェンもまたひと(多くは僧)が変じて精霊となったもので、岩窟のような所に棲む[1]。ひとに祟ったり、害を及ぼしたりするが、転じて守護霊となることがある。たとえばラダックのサキャ派マトゥ(ma spro)寺のシャーマン僧に憑くロンツェン(rong btsan まさに谷のツェンの意)は、もと異形の精霊だったが、高僧に憑いて守護霊となった。その出身地はカワカポ(梅里雪山)であり(「ロンツェン・カワカポ」と美称で呼ばれる[2]) 独龍江から目と鼻の距離にある。(二頁参照)

[1] ツェンの主な棲み処は、赤い崖の上、滝、峠など。

[2] gnas chen kha ba dkar po’i bsang mchod dang gnas yig bzhugs so』(聖カワカポ志)


 伝統的な貫頭衣を着る独龍族の男性。


天鬼と地鬼

[天鬼]

グム…精霊のヒエラルキーのトップに君臨する。人類を創造した。豊饒をもたらす。

ムペポン…プラン(鬼)の親玉。サタン的存在。

レムラ…ナムを造った。男女。

ナムシェンロ…天薬を掌る。

ナムポエン…ナムの指揮官。

ナム…人の疾病の治療を担当。

シェンマプラン…天鬼侍従。嘔吐、眼病を起こす。巫師は、炒った麦粉を盛った藤籠を病人の頭上に置き、祈祷する。

ムンプラン…雷鬼。

モシンプラン…虹鬼。腰痛を起こす。

ゲムター…天鬼。

ミンジャシャカ…天鬼。

[地鬼]

ラー…山頂にいる善霊。五穀豊穣、人畜繁栄をもたらす。

ジプラン…崖鬼。前述。全身にうずくような痛みを与える。

レムラン…小崖洞鬼。足痛、腰痛、眼痛などを起こす。酒を捧げて祀る。

ミプラン…山鬼。

ジンリプラン…山鬼。豊饒を守る。

レムター…狩猟鬼。森と動物を管理。前述。

ムリプラン…樹鬼。黒々とした小鬼の群れ。山林中に棲む。夜間、風のような声で吼える。柴刈りをしたり、山焼きをするとき、ケガをさせる。体にできものを作る。足にできものができたら、小さな木彫り(男型6個、女型7個)に木炭で線を描き、それらを竹竿に吊るして屋外にたてかける。

センホ…樹鬼。全身を痛くする。

レリプラン…樹鬼。

ロリプラン…地上鬼。

デゲラ・プラン…まとわりつき鬼。数種類ある。シン・デゲラは人を呼んで山中に誘い込み、木を倒して押しつぶす。ルン・デゲラは人の上に岩石を落とし、頭をつぶす。アン・デゲラは人を川に落として溺死させたり、飛び込み自殺させたりする。このほか毒蛇に咬まれて死ぬのや、刀や矢が当って死ぬなどの突発事故はデゲラ・プランのしわざとみなされる。

  デゲラ・プランは、しばしばレサモレン(鬼)を美しい年頃の娘に変身させ、送り込む。娘は青年の夢のなかにあらわれる。ふたりは恋に落ち、夫婦になる。しかし外から見ると、青年が次第に衰弱し、痩せ細っていくのがわかる。最後には木や岩に押しつぶされたり、川に落ちたり、飛び込み自殺をして死ぬ。

  山道を歩いていると、じぶんのあとをついてくる足音がする。ふりかえって も、なにもない。これはデゲラ・プランなのである。

デゲラ・プランにまとわりつかれたと思ったら、ナムサを呼び、駆逐する巫術儀式をおこなう。しかしそのやりかたはいっぷう変っている。(まとわりつかれた)青年のまわりにたくさんの娘を坐らせる。そしていかにもじゃれて楽しんでいるかのように見せ、レサモレン(鬼)の嫉妬心をあおる。そのときを見計らって、ナムサはじぶんのナム(守護霊)と助手を呼び、刀をふところに隠し、屋根の上にのぼる。屋根の上は、鬼が出入りする場所なのだ。鬼(デゲラ・プラン)が見えたら、刀でばっさり斬る。鬼はナムサにしか見えない。鬼によっては首飾りをしていて、斬ったときに音がすることがあるという。

ナムサのクレン(後述)はデゲラ・プランを殺したことがある。ある小学校教師の23才の娘がデゲラにまとわりつかれた。夢のなかで(鬼の化けた)青年と交歓するようになったのだ。それで教師はクレンに依頼した。
 クレンは村の四人の若い男女にきれいな服を着てもらい、笛などの楽器をもたせ、熊当から龍元へ、そして龍元から熊当へ歩かせた。30キロ以上の行程である。その間楽器を吹き鳴らしたので、鬼もずっとついてきた。娘はさすがにぐったり疲れたが、それは鬼も疲れたことを意味していた。
 彼らは熊当村の丘にのぼった。そこにクレンは待っていたのだ。娘は地面の上に竹竿で円を描き、そのなかに竹竿を挿した。デゲラは竹竿の先にとまって憩んでいる。そのときクレンは助手に命じて竹竿の先を斬らせ、みな村に戻った。クレンは教師の家で太鼓を叩きながら祈祷し、娘の手足にまとわりついていた(象徴的な)縄をほどいて、娘はようやくデゲラから解放されたとみなされたのである。

ナムサのコンチェントゥリ(後述のウとは同名異人)は鬼殺し専科の女ナム3人をもっている。その甥、リアンチェン(30才で結婚もしている)がデゲラにまとわりつかれていると、占いに長けたナムサである父、コンチェンペンセルが相談してきた。
 そのいい機会は、半月後にやってきた。リアンチェンは薬草(貝母)採りのため遠出をし、村に戻ってくる。村に入る前の適当な場所を選んで、決行することになった。半月も歩いているので、人も疲れているが、鬼も疲れているとみなされた。また鬼を村のなかに入れないためにも、村の外で決行する必要があったのだ。
[この日の朝、ふたりの老婦人の治療儀式を終えてから、デゲラ退治をおこなった] まずナムサは象徴的に、戦士のかっこうをする。軍靴をはき、戦衣を着て、準備万端だ。  コンチェンペンセルはナムサと助手に麻布をわたすと、彼らはそれを羽織って胸の前にあわせる。これはコウモリを象徴している。遠くに迅速に向えるという意味だ。ふたりはその場であっちやこっちへと動き回り、いざ出陣のしぐさをする。それからほんとうに出発し、約3キロ歩いて山を越え、リアンチェンに出会う。ナムサは槍で突き刺すように両手を挙げ、助手は刀で斬りかかる。こうしてデゲラを不意打ちするのである。

ムルン・プラン…路鬼。日夜山道を徘徊し、路行く人にまとわりつく。転倒したりする。

イシュ・プラン…路鬼。

ル・プラン…渓流鬼。手足を腫れ上がらせる。ナムサは蕎麦のをこねて獣の形を造り、藤籠に入れて念じ、屋外に放置する。

リュ・プラン…石鬼。


[水鬼]

ワチャン・プラン…水崖鬼。岸辺の岩石崖に棲む。知らないで出くわすと、腹痛などを起こす。吐血、熱病を起こす。家から百米離れた所に鶏と酒を持っていき、祈祷する。鶏は放ち、酒は森のなかの木の枝に吊るす。

ボムラン…川辺鬼。腹痛を起こす。

シャシャ・プラン…川中鬼。

シト・プラン…水鬼。

チャルタ・プラン…溺死鬼、あるいは替死鬼。

[疾病鬼・災害鬼]

セラン…野鬼。頭痛、眼痛を起こす。

ネム・プラン…野鬼。

アランガ・プラン…夜鬼。夜、遊びまわるのが大好きで、ときおり奇声を発したりする。人や家畜を驚かして、死に至らしめる。

グム・プラン…頭痛高熱鬼。

プラ・プラン…昆虫か小さな草のかたちをしている。通行人に着き、食事のときいっしょに体内に入る。

ナムラン…肺結核鬼。雀蜂のような姿で跳び回り、結核菌を散布する。

ルイ・プラン…癩病鬼。蚊や蝿の姿で跳び回り、癩病を広める。体に着いたら、もう離れない。

ニツァ・プラン…吐瀉鬼。

サンド・プラン…乱鬼。眼病、聴覚障害、腹痛などを起こす。鶏と酒を捧げ、なお病が改善しない場合、豚、あるいは牛を捧げる。

ファマ・プラン…疼痛鬼。

ツァンマ・プラン…羊神。手に痛みを走らせる。

クムル・プラン…家屋失火鬼。

[巫師鬼] モペン…手痛、眼痛、肩痛などを起こす。蕎麦のをこねて男型六個、女型七個を造り、藤籠に入れて屋外に持ち出し、祈祷する。死んだ巫師の魂が化したのはモペンシ。膝痛、咳を起こす。竹竿を挿し、その上に竹板を置いて祭壇とし、上にや酒を置く。

ジ・プラン ナム ラー


清流で魚釣りをする人。水鬼に注意すべし。

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