*その他のシャーマン

ムーランタムティン ナムサ

  大ナムサのひとり。文化大革命中、(ナムサになる前の)ショーラツによって貶められ、十数年にわたって宗教活動ができなかった。八〇年頃から活動を再開し、クレンやドゥナをナムサに導いた。もっとも影響力の大きいナムサといわれる。

  彼は若い頃、山のなかで四人のナムに会った。ナムたちは自在に姿を変えることができた。娘、雀、テーブル……何にでもなることができた。一度め、二度めは何もしゃべらなかったが、三度めに出会ったとき、彼らは言った。「われらはグムによって派遣されたものだ。おまえと友だちになるために来た」

  四人のナムはつぎのとおり。

ナムロンジプラ(女)独龍江の東から来た。頭目。アンカン(年長の意)とも呼ばれる。

サルチャレマ(男)独龍江の東から来た。

ナムニレマトゥジ(女)太陽の出る方向から来た。

ワンミディセ(男)独龍江の西から来た。他のナムを呼ぶときの連絡係。

  正式なナムサになる前、彼はひとり家のなかで自家製の酒をナムを捧げて、祀っていた。彼のナムは酒好きだったのだ。彼がナムを見ることができ、自身ナムを有していることが知れわたり、人々は彼に治療(儀式)を依頼するようになったという。

   ムーランタムティンによると、病気には、病院に行って治るものと、鬼(精霊)によって起こされた、病院で対処できない重病の二種類があるという。

  通常彼は患者の家を訪ねる。患者は囲炉裏端に横たわっているか、麻布の上に坐っているかのいずれか。彼はお茶を飲みながら(ナムの多くは酒を飲まない)、病状について聞く。松の枝をいぶし、屋内を清める。月経中の婦女は忌避[1]する。貝殻を綴った牛皮の腰帯をまとい、月経中でない婦女によって醸造された酒をナムに捧げる。ナムのいる方向にむかって鈴を鳴らす。ナムはひとりのときもあるし、重病患者の場合、四人要されることもある。ナムサによって送り込まれたナムは、山をいくつも越え、天上に薬を取りに行く。ナムサはナムから「めがね」をもらっているので、このヴィジョンを見ることができるのである。

  ムーランタムティンは、口をすすぎ、手を洗い、患者の身体をまさぐる。それから(象徴的に)天からもらった天薬を、患者の頭頂に一滴一滴、落としていく。じっくり観察し、もし天薬が肛門から流れ出るようなら、患者は救いようがない。もし天薬が身体のどこかにとまり、グルグルと音がするなら、まさぐって部所を確認し、口を近づけてふうっと息を吹きかける。これで病気が取り除かれるのだ。これらの治療行為は他の者には見えず、ナムサのヴィジョンを明瞭に抱く能力が問われることになる。

[1] 女の血のタブーは、世界中の狩猟民に見られる。(大林一九九八)


ショーラツ ナムサ

  前述のように、ショーラツはムーランタムティンを「チクッた」張本人である。そのとき彼はまだナムサではなかった。ところが、1979年七月三一日夜、おどろくべきことが起こる。彼はナムを見てしまったのだ。そしてナムサの宗教活動を批判した彼自身がナムサになる。彼はつぎのように語った。

「わたしは共産党員です。共産党を信じない、なんてことはありません。でもナムがわたしを探しにきたんです。どうしようもありません。公社衛生院の医者にも、科学そのものにもすまない気持ちでいっぱいなんですが、どうすることもできなかったのです」

  1979年7月31日夜、いったい何が起ったのか。

「その夜、マパチャゲと妻が、わたしの家に遊びにきたのです。わたしは囲炉裏端のじぶんの板臥所に坐っていました。彼らは向いに坐っていました。わたしの妻と娘も家のなかにいたはずです。と、そのとき突然目の前が明るくなり、三人の男とひとりの女があらわれたのです。みな若く、美しいひとたちでした。着ている服は、ラマの衣裳のようでもあり、スズメの毛のような色をしていました。男女とも額が光輝いていて、美しい帽子を被っていました。また金色に光る腰掛けをもっていて、それに坐っていました。彼らが出現すると、かえって、家のなかのものはみな見えなくなったのです。ナムは言いました。「われわれは友だちを探しにきたのだ」。そこでわたしは問いました、「あなたがたはわれわれみなを探しているのですか、それともだれかひとりを探しているのですか」。「いったいだれがわれわれを見ることができるというのか、だれを探しているというのか」。わたしはマパチャゲに言いました、ナムが来たぞ、と。しかし彼はナムなど見えない、とこたえたのです。ナムはつづけて、「ほら、われわれを見ることができるのはおまえだけだ。探していたのは、おまえなのだ。これからはおまえが治療をするのだ。手を差し出しさえすれば、薬も道具も、いつでもわたそう。鈴を鳴らして、われわれを呼ぶがいい」

  ショーラツのナムは、レマジャゲセル(女)、ベンダイトゥリセル(男)、ワンミダリチュム(男)、もうひとりは名前不明 ()の四人。

  ショーラツの予言が当たったことがある。彼はある老人にむかって、背後になにか黒々としたものが見える、気をつけたほうがいい、と言った。すると翌年、老人は山で熊の襲撃に遭い、右手を噛み千切られたうえ、顔の左半分の皮を剥ぎ取られたという。

  ショーラツは肺結核や肺炎、胃病、関節炎などを治療することが多い。彼はまずじぶんの家で、松の枝をいぶして、鈴を鳴らしながらナムを呼ぶ。それから患者の家に行く。彼はナムからもらった天薬(水銀のようなものだという。ただし他者には見えない)を患者の頭頂に滴らせ(患者は水のようなものが頭上に滴り、ひんやりとした、と感じる。だが手で触ると濡れていない)、それが身体のなかをどのように動くか見守る。そうして病根を探り当てる。[ムーランタムティンと基本的におなじ]

  病根が胸の下だと判明すると、彼はそこに息を吹きかける。それから患者の肌に吸い付き、灰黒色の石炭のようなものを取り出す[1]。それが粉末状になっていたら、病状は重いという。彼はそれを居合わせた人々に見せ、囲炉裏に投げ込んで燃やす。もし少しでも残ったら、患者の生命に危険がおよぶかもしれないという。

  肺結核が進んでいる場合、ショーラツは人差し指と親指を拡げ、他の三本の指はまるめて、人差し指を患者の胸にぐっと入れ、親指から口で黒い液体を吸い出す。それをまわりの人に見せ、囲炉裏に放り込む。

  中風になり、働けなくなった老女を治療したときは、プラン(鬼)が彼女にまとわりついたとみなし、彼女の膝関節から小さな(2、3センチ)ひもを吸い出した。このひもは、いままで見たことのない素材だったという。やはり人々に見せてから、囲炉裏に投げ込んだ。

[1] シャーマンが体内から「病気」を取り出すことについて、レヴィ=ストロースは、フランツ・ボアズが収蒐したカナダ・ヴァンクーヴァーの原住民の自伝をもとに考察している。「シャーマンはこれ(綿毛の小房)を口の隅にかくし、潮時に自分の舌をかむか歯茎の血を出すかしてからこれを血まみれにして吐き出し、おごそかにこれを病人と居並ぶ人たちに見せて、これが、彼の吸い出しとその他の操作によって患者の身体から追い出された病原体だというのである」「彼ら(シャーマン、患者、公衆)がどれだけその内に引きこまれ、どれだけそのことから知的および情緒的満足を得るかによって、シャーマンに対する集団的帰依の程度が決定される。この集団的帰依に支えられて、シャーマンはまた新たな治療に携わることができるのである」「シャーマンは職業的消散者なのである」(レヴィ=ストロース『構造人類学』)



ムンゴーミン ナムサ

  ムンゴーミンの父はミャンマー側ムン氏族の出身だが、40年代に大地震が発生したため、独龍江地域に移ってきた。母はムンクー氏族タセ家族の出身。九人の子の三男として生まれた。13才のときから貢山県で工人として働きはじめ、18才のとき、マパチャゲ(前述)の娘と結婚した。

  はじめてナムを見たのは、1979年夏、工場の宿舎でのことだった。他の工人と部屋で白酒を飲んでいると、突然身の回りに色鮮やかな太陽鳥(チュルジ…十姉妹よりもずっと小さい小鳥)の一群が飛びまわりだした。いっしょにいた工人はなにも見えぬという。それから数日間というもの、絶え間なく鳥はやってきた。酔っ払っているわけでも、夢を見ているわけでもなかった。その後も旧暦一、一五日になると小鳥の一群はあらわれた(クレンにナムがあらわれる日とおなじだ)

  しかし彼は小鳥は鬼の変じたものにちがいないと思い、不吉だと感じていた。翌年、機会があってナムサのショーラツに会い、小鳥を駆逐してくれないかと頼んだ。が、ショーラツが鈴を鳴らしてナムを呼んだところ、小鳥はナムの化身であると告げたのである。

  その年の暮れのある日、ムンゴーミンが家のなかにいると、突然鳥の群れのさえずりが聞えてきた。すると前方に忽然と寺があらわれたのである。垣の上には、とてもきれいな七人の娘が並んで坐っていた。姿はミャンマー人のようにも見えた。彼女たちは順に自己紹介をしたあと、言った。

「あなたはナムサになるべきだわ。だってナムを見るめがねをもっているんですもの。もしならないというのなら、家族や村のひとになにが起こるかわかりませんことよ」

  ムンゴーミンはナムの話に恐怖を感じた。妻、それからマパチャゲの家族に相談したが、彼がナムサになることを反対するものはなかった。

  義兄のムングーロンはさっそく真新しい銅鈴をもってきたが、鈴を鳴らしてもナムはあらわれなかった。そのあと活きた鶏で買った古い銅鈴を鳴らすと、ナムはあらわれた。七人のナムはつぎのとおり(三人は名前不明)

ワンミジムソン 40すぎ。頭目。西のほうから来た。

シャルムンソン 18才くらい。

シャルロームソン 18才くらい。

セムンソン 18くらい。

  1982年春、ナムは「天路」を修復するよう言ってきた。それでショーラツに協力を要請したが、ショーラツのナムが酒を飲まず、ムンゴーミンのナムが酒を飲むという理由で、断られた。そのかわり「酒飲みのナム」を有するムーランタムティンをすすめられたのである。ムンゴーミンが訪れると、ムーランタムティンは協力を表明した。そして四杯の酒をつぎ、囲炉裏の上方の竹編みの通気孔の上、すなわちヘルム界に置き、ナムに捧げた。ふたりは囲炉裏端に対座したが、ほとんどしゃべらなかった。が、ナムどうしは会話をしていたのである。一時間後、ムーランタムティンは言った。「天路は修復された」と。

  ナムサは人の生死を予知することができる、とムンゴーミンは言う。3才になる甥のアプが死にかけたときのこと、地面に一杯の水をまき、アプの服を見ただけで、「アプのプラ(魂)がなくなった」と言った。ほどなくアプの小さな命は天に召された。

  アプの葬儀のあとしばらくして、ムンゴーミンは突然「アプのアシ(亡魂)が(祖父の)マパチャゲといっしょにご飯を食べている。アプのアシはあまったご飯を袋につめて、行ってしまった」と話したのである。それからすぐ、マパチャゲも死んだ。

  ムンゴーミンはムーランタムティンと縁が深いにもかかわらず、ナムを悪用して人を害する、もっとも危険なナムサだという認識をもっている。それはつぎのようなことがあったからだ。

  かつてムーランタムティンはムンゴーミンの叔母に結婚を申し込んだが、ムン家に断られた。そのはらいせにナムを使って叔母を呪い殺した。

  1977年、彼の息子がムンゴーミンの妹に結婚を申し込んだが、またも反対された。前のようなことを恐れたムンゴーミンはあわてて仲介人をやらせたが、遅かった。父親が遠くの(だが目に見える)泉で洗濯をしている母親に、大声で呼びかけたが、そのとき上から岩が落ちてきて母親に命中し、病院に運ばれる途中、息をひきとったのである。

父親が死にかけたとき、ムーランタムティンに儀式を要請したが、彼がナムに酒を捧げている最中に亡くなった。これはナムによって呪い殺されたのだとムンゴーミンは信じている。

  彼は鈴を鳴らしてナムを呼ぶ。ナムが背負っている天薬には、金薬「シェルスティ」、 銀薬「ムルスティ」、もっとも効く薬「センデンティ」などがある。

彼は肺結核患者を治療したことがある。患者の家で、彼は松葉をいぶし、鈴を鳴らし、箕の上に酒をならべ、患者が袖を通した新しい衣を置いた。見ていると、患者の身体からおびただしい蜂(精霊の蜂)が飛び立った。それらは箕の上にとまるや、ほとんど死んだ。ただ一、二匹の蜂はのがれて、どこかへ飛んでいった。これらはところかまわず糞尿を撒き散らす。それが食べられて体内にはいり、骨のなかに産卵する。こうして肺結核や癩病が伝染するのだ。

ムンゴーミンもショーラツと同様の治療をおこない、草の葉か小虫のような形をした黒い物を吸い出す。


コンチェントゥリ ナムサ

  迪政当の有名なナムサだった(故人) ヒーリング、悪鬼祓いだけでなく、歌い手としても知られていた。

  幼い頃、彼は両親について知人の家に遊びに行く途中、ふたつの青い物体が浮遊しているのを見た。魚網を通して見ているかのようで、あまりはっきりしなかった。

  その後ナムが「めがね」を与えてくれたのか、青い服を着たふたりの子どもの姿が見えるようになった。どこに行くにも子どもたちはついてきた。

  コンチェントゥリ自身はふりかえって、彼らはナムでなく、シュンマだったのではないかと考えている。のちナムは十人やってきた。

ナムジンチム(女)かなり年をとっている。算命術が得意。

タイロン(女)鬼に持ち去られたプラ(魂)を取り戻すのが役目。

ペーラニェム(男)ニェンパラチム(女)タイロンが取り戻したプラを運ぶ。

カムラナンチソン(男)カムラチョーチソン() 溺れ死にそうな人を救う。カムラは鴨。

チョージチム(女)重病を治す。

ロンセルワパマ () 刀で鬼を殺す。

ナムチャチム () 武器をもつのを助ける。

タイジチム(女)鬼をおびき寄せて斬る。

  十人のナムのうち、とくにナムジンチムとタイロンが重要な役目をもつ。彼らは家のなかの梁の上を棲み処とするが、ふつうの人には見えない。

  コンチェントゥリは「ナムが治療をするとき、石を取り出したりはしない」と強調する。裏を返していえば、患者の体内から病原体として石を取り出すことが、一般的におこなわれていたということだ。


デムイタムディン シュンマ

  龍元のジャムルイ氏族出身。11、2才の頃、ナムサになったが、のちシュンマによってナムが駆逐され、シュンマになったという。

  ナムサの精霊がナムであるように、シュンマの精霊はラーだという。

  彼がはじめてラーを見たのは、川辺でのことだった。一瞬めまいを覚え、目をあけると、水面から龍が浮かび上がってくるのが見えた。それはしだいに赤い衣を着た、とてもきれいな白い人になっていった。手は左右に二本づつあり、背中に薬箱を負っていた。

  ラーはこびとのようで、後頭部に眼がついているともいう。

  彼は三人のシュンマ(ラー)をもつ。ラーカルマパ、ラーロトシュンマ、シャルレポジェションの三人。前二者は、病気治療を専門とする。後者は、各種病気による痛みを除く。

  父も、祖父もシュンマだった。父はあるとき、窓の外を一羽の美しい鶏が走るのを見た。この鶏は、シュンマが変じたものだったという。彼は追いかけて鶏を捉え、そうしてシュンマになった。

  ジャムルイ氏族では、五男がシュンマになるという習わしがある。三人のシュンマは、父から受け継いだものだ。


ショーロンナンプラ

迪政当のジャンムルイ氏族出身。若い頃、酒を飲んでいると、突然わけのわからないことをわめきはじめ、また民謡を歌いだした。人々は、ジプラン(崖鬼)に魅入られたにちがいないと、噂した。30才になった頃、結婚し、子どもも五人いた。父が病気になったので、(ウにしてナムサの)プラロンナンに治療を依頼した。病気はジプランによって起こされたことがわかった。それで豚を殺し、崖鬼に捧げることになった。はじめ病人に刀をもたせて豚を殺そうとしたが、うまくいかず、ショーロンナンプラだとうまくいった。ウだけがうまく豚を殺し、祀ることができるといわれる。


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