擬態は神のインテリジェンスである 

宮本神酒男

 亜熱帯の森と庭園のあいだのひっそりとしたほの暗い空間に、美しくも毒々しい熱帯花があった。柵を乗り越えてそこに侵入したのは、熱帯花の危険な香りに引き寄せられたからにほかならない。セルロイドのような鈍いピンクの花の光沢があやしくて、わが心は陶酔した。

 写真を撮るのに邪魔なので、花にはらりと掛かっている枯れ葉を払おうとして手を伸ばした瞬間、それが木の葉蝶(コノハチョウ。学名は
Kallima Inachusというらしい)であることに気がついた。その擬態ぶりにすっかりだまされていたのである。もっとも、こんな目立つ花にとまっていたのでは元も子もないような気もするけれど。

 熱帯花の名前がわからないので、私は勝手に澁澤龍彦の「幻想博物誌」に出てきそうな、たとえばデリネシアとかそういう幻想的な名を思い浮かべてひとり悦に浸っていた。

 帰国後ネットで調べてみると、それはトーチジンジャーというショウガ科の花であることがわかった。あまりひねりのない名前(たいまつのようなショウガ科の植物)なのですこしがっかりしてしまった。ガーデニングが趣味の若奥様にはしゃれた名前に感じられるかもしれないが。

 森を散歩してもどってくると、おなじ蝶がトーチジンジャーの花の上に舞いもどっていた。そっと近づいて見ると、蝶は管を伸ばして一心不乱に蜜を吸っていた。毒々しい見かけとちがってその蜜は極上の甘みを有しているのだろう。

 擬態というのはいったい何なのだろう。調べてみると、擬態には隠蔽擬態、攻撃擬態の二種類があるという。木の葉蝶はあきらかに前者、つまり捕食者から身を守るために擬態をしている。

 しかし衣装を着てメイクを凝らしてアニメの登場人物になりきるコスプレとはわけが違い、その存在そのものを細部にまで似せてしまうとは、いったいどういうことなのだろうか。考えてみてほしい。映画「ザ・フライ」のように人間が何か(映画の場合ハエ)に変身するなんてことはありえない。

 百万年かければ人間も何かに変身できるかもしれないけれど、では木の葉蝶も時間をかけて枯れ葉におのれの姿を似せてきたのだろうか。それじゃあ変身が完成するまでに捕食されてしまい、種が生き残るのは難しそうではないか。

 あるいは適者生存のように、木の葉に似た突然変異の蝶が生まれ、生き延びたのだろうか。そんな超突然変異がありえるだろうか。


 こういうところにも神のインテリジェンスというものを感じるのは私だけではないだろう。何か神とでも呼ぶほかないグランド・デザイナーがいて、われわれの知らない意図でもって、この世界のすべてを創造しているのである。

 ふと私は聖書の「神にかたどって人を造った」という一節を思い出した。じつは人間は神を擬態しているのではないか、と私は考えてみたくなった。おそらく人間の本当の姿は猿とおなじであるにちがいない。たぶんヒトはチンパンジーなのだ。ヒトのDNAの99%はチンパンジーとおなじだというが、そこまでかぎりなく近いのなら、異星人から見ればヒトとチンパンジーは同種に映ることだろう。

 人間は何百万年もかけてその姿を神に似せてきたのである。それは隠蔽擬態だろうか、それとも攻撃擬態であろうか。隠蔽擬態だとすれば、捕食者(つまり悪魔)の攻撃から身を守るために姿を神に似せているのである。悪魔は神の姿に擬態した人間をおいそれとは攻撃することができないのだ。


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亜熱帯の森に咲く熱帯花。遠目には菊のように見えるが、近づくと食虫花のような毒々しさを持っていた。(ラオス南部ボラーヴェン高原)


最初は花に落ちた枯れ葉のように見えたが、木の葉蝶だった。擬態によって身を隠しているのに、目立つ花のために身をさらすことに。


よく見ると管を伸ばして一心不乱に蜜を吸っている。 


ピンボケ写真になってしまったが、おわかりいただけるだろう。木の葉蝶は集中力が切れてしまったのか、羽根を広げて瑠璃色の姿をあらわにしてしまっている。