6 楚王曰く、我は蛮夷なり 

 古代、ミャオ族が分布する地域には楚という大国があった。前9世紀、周の夷王のとき、楚の国王熊渠は「われ蛮夷なり」と高らかに宣した。(『史記』「楚世家」)

 それから百年余りのち、楚の国王熊通は自らを蛮夷と認めながらも、周王朝の宮廷に参加したいと申し出ている。しかし周王朝に断わられたため、「自らを尊ぶのみ」と王はぼやいている。

 「われは蛮夷なり」というのは、一見すると、楚という辺境の国の王が「おれたちはどうせ野蛮な人種さ」とすねているか、あるいは居直っているように思える。しかしおそらく蛮(man)はモン族(Hmong)のことだろう。つまり「われわれはモン族である」と言っているのだ。蛮は南方の民族のことを指す。北は北狄であって、北蛮といった使い方はない。南方のミャオ・ヤオ族の自称はモンやマンなどだったが、漢族はそれに蛮という漢字をあてたのである。漢族は他民族の呼称にかならず動物や昆虫などを表す字や偏を入れたが、蛮という字にも虫が入っているのだ。(邪馬台国に馬という字が使われているのはどういうことだろうか。騎馬民族説が生まれる要因にもなったのではないか)

 民族の呼称がほとんど蔑称である中国において、苗族という名称はけっして悪くはない。『説文解字』でも、苗は「田において草生える者なり」と説明している。苗人、苗民、苗族というのは農民のことを指していた可能性もあるだろう。もともと「漢族vs苗族」という対立構造があったわけではないのである。

 さて、楚の国王がミャオ族の祖先である可能性があるわけだが、熊(ション)という姓はミャオ族に一般的な名前なのだろうか。たしかに、現在もミャオ族の中には熊姓がたくさんいる。日本語のうまいミャオ族の熊氏が日本人から「熊さん」と呼ばれているのを見たことがある。

 楚人の二大姓は熊(ション)と●(ミ)だという。(●は半という字に似た使用例の少ない漢字) 

 湖南省の花垣や鳳凰、保靖、貴州省などでは、ミャオ族の自称はゴショー、湖南省の濾渓、古丈、竜山などではサ、あるいはグ・スアグだという。これらには果雄(ゴーション)という文字を当てるのが慣例となっている。雄と熊はおなじ音(ション)である。楚の国王が熊姓を名乗っていたのは、熊(ション)の音がゴショーのショーに近く、熊はパワフルなイメージがあり、かつ中国の為政者の方針に沿っている(異民族には動物の名や字を賜う)からではなかろうか。

 また湖南省の竜姓のミャオ族の自称はゴミ(尊称)かタイミ(謙称)だという。このミは楚人のミ姓からきているのだろう。

 

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