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古代ボン教のもう一つの重要な特徴は、動物の生贄である。チベットの普遍的な君主制の時代[吐蕃王朝時代。吐蕃はトゥボと読む]、すなわちチベット最古の歴史時代には、こうした動物の生贄は国家の公式儀式において重要な役割を果たしていた。中国の記録には、この点に関する貴重な情報が残されている。唐の年代記には、チベット人が忠誠の誓いを立てる際に、羊、犬、猿を生贄として捧げたことが記されている。

そして、3年ごとに執り行われる厳粛な儀式では、天地の神々をなだめるために、馬、牛、ロバ、さらには人間までもが犠牲として捧げられた。こうした犠牲は、チベットと中国の間で繰り返し国家条約が締結された際にも捧げられた。

もちろん、このような儀式は、あらゆる命を不殺生(アヒンサー)とする仏教にとって忌まわしいものだった。仏教が優勢になり、国家の承認を得ると、敗北したボン教は、そのような慣習をこれ以上行うことが禁じられた。しかし今日に至るまで、仏教はチベットの人々の信仰に深く根付いたこの種の供犠を完全に根絶することができなかった。生きた動物の代わりに、ヤクや羊の像、鹿の頭の木彫りなどが供えられた。11世紀のミラレパの詩から、重要なボン教の人物が病に倒れた際、数百頭のヤク、ヤギ、羊を生贄として捧げて悪魔をなだめたことが分かる。

近年、東チベットを旅した人々は、ボン教の信者が今でも平和を祈願するために雄鶏の血を使用していると報告している。ボン教の経典「セルミク(gZer-myig)」には、病に苦しむ王子が回復するよう、悪魔を鎮めるために臣下の一人を犠牲にしなければならなかったと記されている。経典には次のように書かれている。

「占い師が男の足をつかみ、ボンポが男の手をつかんだ。黒いハンダ(Han-dha 古代葬送儀礼の執行人)が生命の穴を切り開き、心臓を引き抜いた。占い師とボン教の二人は、犠牲者の血と肉を天の四隅に撒き散らした」

90年代半ば、ガンデン僧院近くの鳥葬の場所で、これと似た儀礼が行われるのを岩陰から目撃したことがある。もちろん実際の人間が捧げられるわけでなく、トルマ(バターと麦粉を練ったもの)の像が使われるのでもなく、すべては動作で表された。ボンポらしき男が横たわった人間の内臓を開き、心臓などを天(の四隅)に捧げると、6,7人の人たちもそれと同じ動作をまねた。あきらかに小学生くらいの男の子が主役だったので、この子の母親が病気で倒れたのかもしれなかった。魂を呼び戻すために行った儀礼ではないかと思う。

 その2年後に私は四川省と雲南省の省境の村でトンバが行った病気(脳梗塞)で倒れた父親の魂を呼び戻す儀礼を見たことがある。上述のような儀礼が行われたわけではないが、その日の夜遅く、娘さんとトンバが村の中を巡りながら、「アタ(お父さん)戻ってきて」と叫んでいるのを見たことがある。

 病人の場合、魂を呼び戻す儀礼をおこなう。亡くなった場合、その魂を天、あるいは安息の場所に送る儀礼をおこなう。トンバ教がボン教と同一であるとは決めつけられないが、似た考え方がこれらの儀礼の根底にあると思う]



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