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 ごく最近までこの古代宗教であるボン教について私たちはほとんど知らなかった。今日、ある程度の確信を持って言えるのは、元々のボン教は、シベリアだけでなく、中央アジア全域、東トルキスタン、西トルキスタン、モンゴル、満州、チベット高原、さらには中国にまで広く普及していた、あのいにしえのアニミズム的シャーマニズムのチベット民族的な形態であったということである。ある思慮深い学者[HS・ナイバーグ]はイラン、少なくとも東部の地区の一部がそれに含まれるとしている。そして予言者ツァラトゥストラ(ゾロアスター)もインスピレーションを得たシャーマニスト(シャーマンと同義語)であったと主張した。しかしこの説は広く受け入れられていない。

それにもかかわらず(宣教師がやってくる前の)シベリア、古代のテュルク人、モンゴル人、中央アジアのツングース系民族、それに儒教が取り入れられる前の中国[共産主義の国になるとは、当時のホフマンはまったく予期しなかった]は、古代チベットの土着の信仰について理解の助けとなる。

わたしたちの最初の課題は、仏教と接触する以前のボン教がどのようなものであったかを解明することである。これは信頼できる文書資料が不足しているため困難というほかない。実際、初期の頃の実際の文書は知られておらず、そもそも存在したとは考えにくい。なぜならチベットが仏教の影響を受けて文字言語と文学を獲得したのは7世紀前半になってからのことだからだ。

のちに仏教の流れに沿って形成された国教的宗教であるボン教の信者の文学は、綿密な文献批評によって、この問題の解決に役立つ要素を提供してくれるだろう。しかし、この文学が与える第一印象はやや期待外れだ。明らかなのは、仏教的な解釈と教義における深い依存であり、詳細な分析を経て初めて、様々な古い思想体系を抽出することができるのだ。

さらにこの文献の規模について、いまだに確かな見当がつかないという事情もある。我々が知るようになったわずかな著作は、断片的なものであり、多かれ少なかれ関連性のない情報しか提供していない。この種の最初のテキストは、アントン・シーフナーによって1881年に『白ナーガ十万』というタイトルで出版された。1898年にはベルトルト・ラウファーによってダイジェスト版が出版された。この資料から、そして1900年にラウファーによって出版された短い懺悔の詩から、古代ボン教の太古の精神の概念について、1つか2つの手がかりを得ることができた。

1つか2つの短いメモや抜粋を除けば、フランケ(A. H. Francke)が出版した、より長く、より代表的な作品である『セルミク(gZer-myig)』の全体の約 4 分の 1 の翻訳もある。このような状況を考えると、必要な注意をすべて払ったとしても、ラマ教の著述家による論争的な文献から選りすぐることができるものに感謝しなければならない。チューキ・ニマ(Chos-kyi nyi-ma)が著書『宗教宗義水晶(The Crystal of Doctrinal Systems)』 で提供したような論説は、数ページに要約されているため、そうでなければ古代の膨大な量の文書から選りすぐらなければならないところを、簡単に入手できるという大きな利点がある。

徐々に、そしてさらなる調査の過程で、仏教徒の証拠とボン教の原典文献の証拠を比較することが可能になるだろう。この点において、我々はマニ教を研究しようとした学者たちといくらか似た状況にある。彼らは長年、キリスト教徒やイスラム教徒の著述家による論争的な著作のみを情報源としていたが、それでも少なからぬ成功を収めてきた。

しかしチベット史の黎明期に関する歴史文献に見られる、多かれ少なかれ意図せずして何気なく記された記述は、私たちの研究にとってさらに大きな価値を持つ。確かにこれらの著者はチベット仏教の僧侶であったが、彼らが仏教の守護者として称賛した古きチベット王国はボン教と非常に密接な関係を持っていたため、後世の文学作品にも、こうした関係の顕著な反映が必然的に見られるのである。さらにここ数年、私たちは吐蕃王国時代に書かれた極めて重要な同時代の著作を2点所蔵しており、それらには幸運にも仏教的な改変の兆候が見られない。

これらの貴重な文書は、他の多くの重要な文献とともに、当時チベットの支配下にあった中国北西部の有名な敦煌の壁に囲まれた図書館から私たちの手元に届いた。そしてチベット人の古代の宗教思想において、これらの文書は特に私たちにとって非常に役立っている。とはいえ、これらの文書が抱える言語的およびその他の問題をすべて解決するには、まだしばらく時間がかかるだろう。最後に、同時代の記録に基づいて書かれた中国の年代記作家の著作から得られた重要な情報についても触れておかなければならない。これらはとくに唐代の二つの歴史書に収められている。

これらの資料からボン教の起源についてわかることは以下のとおり。当時のチベット人は周囲の自然環境の恐るべき性質に完全に服従していたようだ。彼らは完全に自然に根ざし、自然に支配された宗教観は、彼らの荒々しい高地の風景の力と勢力を敬虔かつ従順に中心に据えており、その神々は、チベット人が周囲に見ていた多数の善悪の精霊の概念に反映されていた。これらの多種多様な精霊のほとんどは、今日でもチベットの一般の人々の信仰の中に生き続けている。チベット仏教ではこれらの精霊が認められ、その神々のパンテオンに受け入れられている。しかし天の古い神は長い間、典型的な怠惰な神であり、めったに言及されず、めったに再び崇められることもなく、ほとんど完全に忘れ去られている。今日でもチベット人の間で、特に西チベットの地域で通用する、生きている精霊に関する古来の考え方についての貴重な資料は、フランケによって収集された。リバッハの優れた著書『遊牧民(ドクパ)ナムギャル』もそうである。