心風景 inner landscape 19    宮本神酒男 


電気ブッダ あるいはオーラと光背 ミャンマー・ザガイン 


 この国は、いたるところに野ざらし仏が眠っている。眠っているというより、草むらのなかに、廃墟となったパゴダのなかに、あるいは覆い隠す屋根のないところに、放置されたままになっている。そういう忘れられたブッダを私はいとおしく、愛らしく感じる。

 野ざらし仏の対極に位置するのが、この電気ブッダだ。イルミネーションのごとく、緑や黄、青、赤の電飾がピカピカ光りながら流れていくのが、かえって郷愁を誘う。語弊があるかもしれないが、「安っぽさが魅力」といえばいいだろうか。「聖なるもの」の聖性を精一杯表現しようとした結果、こういうゴージャスにしてチープなブッダになってしまったのかもしれない。



 この「電気ブッダ」がある旧都ザガインの寺のなかに、ブッダの生涯を描く連環絵画がある。そのなかの一枚には、大勢の弟子に囲まれて説法をするブッダからまばゆい光が放たれている様子が描かれている。

 この絵を立体化したのが、電気ブッダだった。「電気」「電飾」「イルミネーション」のブッダというより、光のブッダなのだ。考えてみればアミターバは無量光仏であり、西方浄土の教主である。阿弥陀仏は十分に崇拝され、衆生の拠り所になっているけれども、なぜ全宇宙の神ではないのだろうか。

  
ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダの中。群衆が拝む透明なガラス板の向こうのブッダのまわりを、色とりどりの「後光」がチカチカと光っている。右写真のブッダの「後光」はお休み中だが、電源につながれているのがわかる。

 光明仏というものを、私は福建省泉州で見たことがある。それは元来マニ教の、そして現在は道教の仏像だった。仏教ではないので仏像というのもおかしいが、やはり見た感じは仏像そのものだった。マニ教はペルシア起源らしく、もともと「光と闇の宗教」であり、光崇拝という一面があった。

 見ての通り、電力など必要ない。この中国で描かれたペルシア起源のブッダは、自らのエネルギーをめらめらと燃やし、すさまじい力を生みだしているのだ。よく見れば、局所に「マラ棒」のようなものが突き出ている。性エネルギーを基本とするタントラ仏教でさえ、このあからさまなリンガ(陽物)には戸惑ってしまいそうだ。

マニ教の光明仏。現在「リンガ」は切除されてなくなっている。考えるだけで痛くなる 

 光というものは魅惑的で、ときには神や仏そのものよりも魅力を発散する。われわれは光を信仰するようになると、異端者に陥ってしまう。光は危険な罠でもある。ルシファーは光を罠として用いて、われわれを堕落させる。

 ブッダが発する聖なる光とは何だろうか。それはキリスト教のイエス像やマリア像、天使のまわりに見えるハローとおなじく、オーラなのだろうか。そのオーラとは、実在するものなのだろうか。オーラを感知する能力は磨くことができるのだろうか。

 よく「あの人にはオーラがある」などと言う。本当の意味で強烈なオーラを発するカリスマは滅多にいなくて、ほとんどの人は一生のあいだに接することすらない。直接接することはなくても、ブッダやイエス、マホメットには信じがたいほどのオーラがあったに違いないと思う。そこまでの偉大な存在でなくても、たとえばジョブズ氏や松下幸之助氏といった企業家、有名スポーツ選手などにカリスマ性を感じ、オーラが見えるかもしれない。

 しかしそこまでいかなくても、人はだれでも多かれ少なかれオーラを持っているのだ。とはいっても、成功を得るためにオーラを磨くとするなら、それは本末転倒というものだろう。

    
後光を放つクリシュナ(左)とラクシュミー(右) 

    
十字架上のイエスにも後光が…      カリスマ性あふれるイエスのオーラ 


     
終末カルトの予言者エリザベス・クレア・プロフェット。右はオーラを認識し、増大させるための導き書 

     
初期の仏像(菩薩像)には、オーラは光背として表現された(ガンダーラ時代、スワート)
現代に至ると、光背はシンボルと化し、本来のオーラの意味がわかりにくくなった。そのかわりにこのマイトレーヤ(弥勒)のように、あらたに光線が描かれるようになった。(ジョナサン・ランドーとアンディ・ウェバーより) 



*「電気ブッダの夢」というタイトルは、映画「ブレードランナー」の原作、フィリップ・K・ディックの「電気羊は夢を見るか」(Do Androids Dreem of Electric Sheep?)を踏まえています。売れっ子SF作家のジョン・スコルジーも「アンドロイドの夢の羊」(The Android's Dream)という作品を書いています。


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