心風景 inner landscape 24    宮本神酒男 

 貴州省榕江県仁里水族郷 

 私はこの女性三人と幼児の垢抜けない雰囲気が醸し出された写真が好きで、ときおり眺めて時空間移動を楽しむ。自分の記憶では彼らは「水族」である。しかし今、民族衣装を見る限り、隣村の「トン族」のように思える。二十数年前の記憶はすっかり風化してしまっている。

* 水族(人口40万)もトン族(人口287万)も歴史的に異なる民族だが、おなじチワン・トン語支に属する。チワン・トン語支に属すのは、水族、トン族のほか、チワン族(人口1700万)、プーイー族(人口287万)、マオナン族(人口11万)、ムーラオ族(人口22万)、タイ族(人口126万)と海南島のリ族(人口125万)である。マオナン族やムーラオ族を識別したのには感服するが、一方でいくつかの異なるタイ系民族を全部ひっくるめてタイ族としている。驚くべきことに彼らは言語的に、みなタイ人の仲間である。タイ人、ラオ人、シャン族などを含めると、タイ系の人々は全体で1億人を超えるような大所帯なのである。彼らの祖先は百越と呼ばれた人々で、呉・越の子孫であり、福建人や広東人、ベトナム人も遠い親戚といえるだろう。毛沢東の出生地(湖南省)の近くにもタイ語の一種を話す人々がいる。

 当時、私はトン年(トン族の新年で10月頃)を見るべく、その下見のために貴州省の東南部にやってきていた。今でこそ高速道路によって桂林とこの地域は結ばれているが、そのときは広西チワン族自治区の三江からバスか船で小さな町、榕江へと移動した。榕江から北のほうへ行くミニバスに乗り、適当なところで下りた。

 山間部の車がほとんど通らない未舗装の道にひとり立ち、ミニバスの後ろ姿が小さくなっていくのを見ると、急に不安に駆られた。人の姿もない。しばらく立っていると、農作業に行こうとしている人が現れたので、「仁里はどこですか?」とたずねた。するとオーバ−アクションとともに「下辺(あっち)!」という答えが返ってきた。ずいぶんいい加減な返事だなと思ったが、ともかくそれで入る道を間違えずにすんだ。

 仁里というトン族の村(現在仁里水族郷になっているが、トン族もたくさん住んでいる)まで山道を歩いて4時間かかった。村にはホテルはもちろん、旅社と呼ばれる最底辺の宿泊所すらないのだが、私は何も考えずに向かった。このどうにかなるという鈍感力が当時の私の動力源だった。トン族の村の手前に水族の村があった。

 ここでも道を聞くことにした。道端の家の庭に立っていたのは、男に見える人だった。女性の民族風の衣装を着て、女性の頭飾をつけているのだから女性のようだが、髭がぼうぼうに生えているのだ。声も太い男の声である。髭が生えた女性だったのか、何か考えがあって女装をしている偏屈な男だったのか、いまだにわからない。何か納得できない気持ちのまま進むと、新築の家があり、子供たちが走りまわっていた。

 この新築の建物は小さく、安普請だが、小学校だった。建物はできたばかりのようで、切ったばかりの木の匂いがした。子供たちのなかから突然現れたのはただひとりの先生だった。背があまり高くなく、目立たなかったのである。私は子供たちを集めて記念写真を撮った。子どもたちは全員水族だった。3か月後に戻ってきたときに、私は香港でプリントした写真を先生に渡している。



 この子どもたちの素朴で純真そうな顔を見ていると、こういう天真爛漫な時代がいつまでつづくのだろうかと漠然と思ったのを覚えている。かつての日本とおなじで、都会の近代化が進むと、田舎の子供たちの生活もよくなり、着るものがきれいになり、子供たちの表情もあかぬけてしまうのだ。貧しいほうがいい、とはとうてい言うことができないが、物質的な豊かさが精神的貧困をもたらすという現象は世界のいたるところで見られる。もちろん物質的豊かさがあってこその精神的余裕なのかもしれないが……。



 この記念写真を撮ってから20年後、わりと最近のことだが、中国内で人気が出てきたプロポーション抜群の美女モデル、女優のプロフィールを見て驚いてしまった。その周偉●という女性は、この地域出身の水族なのだという。この地域といっても、ここまで過疎地域ではなく、三都などそこそこの町の出身か、都会育ちなのだろうけど。そうわかってはいても、このなかにいてもおかしくないと思うとなにか可笑しくなってくる。年齢的には合致するのである。(●は丹に杉の右側。tong)


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